九月廿五日(木)己亥(舊九月二日) 曇天、場所により雨、日もさす

 

「中仙道を歩く」第十九回の三日目。臺風崩れの低氣壓が近づくといふので、長野縣中部南部は八〇から九〇パーセントの降水豫報です。心配しいしい食堂に向かつたら、なんと窓からの景色に大きなご立派な虹、レインボウがかかつてゐるではありませんか。靑空も見えます。おいおい、ですよね。でも、これで、だいぶ樂觀的になることができました。また今回は、どういふわけか、食欲があるのであります。朝食をたつぷりといただいて歩くことができました。

八時に、「クア・アンド・ホテル 信州健康ランド」をチェックアウト、バスで昨日の牧野交差點に向かひ、いよいよ出發です。そこで惱みました。みなさん、大きなリュックサックを背負ひ、傘とレインコートをお持ちになつてゐます。後ろ(北)は晴れ渡り、靑空が見えてゐます。しかし、これから向かふ木曾谷方面(南)は黑い雲がたれこめてゐます。決斷しなくてはなりません。そこで、ぼくは、だんだん晴れてくるはうに掛けました。傘もレインコートもバスの中に置いて、肩掛けバッグもやめて、身輕に歩くことにしました。

事實、背面の靑空が次第に追ひかけるやうに近づいてきます。それが、追いつ追はれつといふか、ぼくたちがはや過ぎると南の空から小雨が降りかけてきます。ちよつと休憩などしますと、靑空が近づいてきます。なんとも不思議な雰圍氣につつまれて、それでもずんずん歩むことができました。

 

はじめから有名な、「そば切り發祥の地、本山宿」の看板を目の當たりにしました。つづいて、本山宿の住民の努力による古い家竝みがまたすばらしい。右側に中央本線が竝び、進んだ先で踏切を渡りました。すると、後ろから何やらやつてくるのです。よく見たら、五人の靑年です。大きな荷物を背負ひ、足竝みも軽やかに、聲をかけると、京都へ向かつてゐるといふので、二度ビツクリ! あつといふ間もなく遠ざかつて行きました。

線路脇の櫻の丘公園でトイレ休憩をとりましたが、そこから、日出鹽驛が見えるんです。そして、そこに列車がやつてきたので、いい寫眞が撮れました。ふたたび街道にもどり、日出鹽一里塚を見てからは、國道にそつて、ずんずん歩きました。ところどころでしぶきのやうな霧雨に吹きかけられ、ついにやつてきたのが、「是より南 木曾路」碑です。いよいよ木曾路に入りました。明治天皇が休まれたといふ、櫻澤の百瀬家を通過したあたりから、雨がだいぶつよくなりました。右の崖下には奈良井川が見えます。

若神子一里塚をすぎ、小さな集落にはいつたら水場があつたので、顔を洗ひ、飮まさせていただきました。もうゴールの贄川驛はすぐでした。到着は一一時二五分、一四六五〇歩、約九キロでした。バスに乘り、途中で晝食。新宿には一五時三〇分、上野には一六時一五分でした。膝も心臟もよくもつてくれました。いや、それ以上に天氣がもつてくれました。 

 

今日の寫眞:①ホテル九階から見た朝の虹! ②そば切り發祥の地、本山宿。③本山宿。④追ひ抜いていつた靑年たち。やはり京都をめざしてゐるといふ。その速いこと、熱氣すら感じました。いやあ、うらやましい! ⑤本山宿櫻の丘公園から、日出鹽驛を望む。ちやうど列車が通過して行きました。⑥「是より南 木曾路」碑にて。自分撮りしてみました。⑦櫻澤の百瀨家。「明治天皇櫻澤御小休所」・「明治天皇御駐輦址」・「明治天皇御膳水」の碑あり。⑧ここも中仙道! ⑨ゴールの贄川驛到着。

 





コメント: 0