九月廿七日(土)辛丑(舊九月四日) 晴れのち曇り

 

 今朝、思ひあまつてOCNサポートセンターに連絡をしてしまひました。パソコンの動作がおそくなつて、氣にさはりはじめたからです。約一時間、内部を點檢していただきました。が、それほど問題になる箇所は見つからなかつたやうなんです。ウインドウズ8を、8・1にヴァージョンアップしてしまつたことが、一つの原因かもしれないとの話はありました。まことに迂闊でした!

 それと、文字について、作業を開始するときには、いつも「A」なので、「あ」にしてほしいと訴へましたが、これは出來ないやうに決められてゐるといふことでした。メールや「日本の古本屋」で、書きはじめて、ふと見ると、横文字になつてゐるではありませんか。いつもはじめから書き直しなんで、これは是非變へてほしいと思つたんですがだめでした。いや、OCNさんがだめなんではなくて、マイクロソフト製品としてさうなつてゐるんださうです。

 ただ、メールに記入するときに、フォントが替へられなかつたのが、ぼくが横書きで使用してゐる、“HGP平成明朝体W3”を使へるやうになつたことは、ほつとしました。 

 

夕方、母が、隣の濱口さんのおばさんとゲートボール大會から歸つてきました。母つたら、今日は競技に出ないで、近くの山で野草を摘んでゐたさうです。歸宅さうさう花いぢりしてました。まあ、ぼくとそつくりです! いや、ぼくが似てゐるんですね? 

 

中仙道を歩いてゐるあひだに、ドイツの愛ちやんから、メールで、素晴らしいご指摘をいただきました。以下その文面です。 

 

・・・特に本居宣長、上田秋成、平田篤胤という国学者の思想について、原文を引用しながらのご説明、本当に色々と考えさせていただきました。

或るドイツのキリスト者達の研修会で、日本の天皇制イデオロギーをテーマにした講演を聴いたことがあるんです。日本の近代史の研究家が話していましたが、本居さんも平田さんも、散々批判されていました。淳ちゃんの書かれている様に、近世の天皇制思想が、時の権力への従順を民衆に強いる事になり、権力者にとって都合の良いものになっていくという事が批判的に語られていたように思います。

それは、その通りだと思いましたが、ちょっと反抗して、こんな質問をしたんです。「大和こころ」が「漢意」に対して、国学が儒学に対して出てこざるを得なかった日本人の精神状況をも考える必要があると思います。特に知識人が、アイデンティティーの問題で苦しむのは、いつの時代もどんな国でも同じなのではないかと思うのです。思想は一人歩きするから怖いのですが、本居さんも平田さんも、外国の思想と文化の中で、「日本人とは何か。」と考えざるを得なかったのではないでしょうか。国学は、「日本人のアイデンティティー」を発見するために必要だったのではなかったのでしょうか。それとも、『民族のアイデンティティーを発見しようとする思想』そのものが既に諸民族の共生を破壊する危険を孕んでいるのでしょうか。

本居さんの過激な言葉を聞きますと、大和心も、人を殺しても平気で居られる冷淡な心になりうるのだと思います。いずれにしても、批判精神の無い思想への関りだけは避けたいものです。 

 

以上、長文でしたが、とても重要なことなので引用させていただきました。

そうなんです、國學は、「日本人のアイデンティティー」を發見するための學問だつたと、ぼくも思ひます。しかし、それが、ご指摘のやうに、「『民族のアイデンティティーを発見しようとする思想』そのものが既に諸民族の共生を破壊する危険を孕んでいる」のかどうか、このことは議論が分かれるところでせうね。ぼくは、一人の人間としてもさうですが、アイデンティティーを自覺するために、あへて敵をつくる必然性はないと思ひますがね・・。

アイデンティティを得るといふか、自覺するために必要なことは、それは、よく思ひ出すことにつきると思ひます。過去となつてゐる歴史をです。個人的にもさういへるでせう。寫眞でも、日記でも、手紙の控へでも、或は學んできた勉強のノートやメモなど、自分を思ひ出す史料・資料は、一人の人間にだつてたくさんあるし、すぐみつけられるでせう。

それらを通して、今ある自分との關連を探り、また道筋をたどるなんて、スリリングで面白いと思ふのです。歴史は知識ではなく、思ひ出すことだといふのはさういふ意味です。自づからアイデンティティは組み立てられてゆくことでせう。我田引水で申し譯ありませんが、ぼくのこの「日記」や「歴史紀行」は、まさにぼく自身のアイデンティティ、なんて大袈裟ですが、自分といふ人間を自覺するためにやつてゐるやうなもんなんです。すみませんが・・。

 

ましてや、一國の歴史にはぼう大な史料・資料が埋もれてゐます。それらを調べていくことは、そのまま日本といふ國と、そこに暮してゐるぼくたちのアイデンティティを築いていくことにほかならないと思ふのですよね。ですから、宣長さんが「記紀」を徹底的に研究したといふことはわかりますが、そこから、ほんとうに皇國史観しか導き出されてこなかつたのか、疑問です。そもそも、『日本書紀』は、藤原不比等によつて、意圖的に、天皇中心に書かれた書物です。ですから、それを鵜呑みにしてしまつたとしか言ひやうがありません。

これは、まあ、宣長さんなりに眞面目に歴史に學んだことの結論だつたとは思ひます。しかし、これが、時の權力によつて都合よく利用されたこともまた事實なんです。しかも、宣長さんが主張したことなんか、信じてもゐないくせに、利用できるから、信じてゐるふりをする。權力とはさういふものなんです。

明治維新に際して、明治天皇を頂点とする、それこそ皇國主義をかかげて、國民にも服從させましたが、當の伊藤博文なんか、天皇は「傀儡」としか思つてゐませんでした。自分が信じてもゐない天皇を、國民には信じさせ、服從させてゐるのです。宣長さんの皇國主義だつて、大陸侵略の口實に使はれたとしか思はれません。

ぼくが近々思ふことは、このやうな、力にうまく利用されるやうな思想のありかたです。利用されてからさうぢやないと言つたつておそいと思ひます。おしまひ。 

 

今日の寫眞:①②歸宅早々、摘み取つてきた草花いぢりに餘念のない母。③噴火した御嶽山。十月は、贄川宿から上松宿まで歩く予定なので、噴火の様子が見えるかも知れません。まさか、これで中止にはならないと思ひますが? ④昨日求めた本の一部。ぢき木曾路を越えるので、次の美濃路の準備をはじめなければなりません。その參考書です。

 



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