十月七日(火)辛亥(舊九月十四日) 晴れ

 

「中仙道を歩く(十九・後編)」、だいぶ進みました。「鹽」についてと、「古戦場」について、少し蘊蓄を傾けてしまひました。 

 

“夜のピクニック”、こんばんは、妻の「思ひ出探し」に付き合ふかたちになりました。それで、ぐるりと歩き回つたので、約一時間、五五〇〇歩でした。

いつものやうに、お花茶屋に向かひ、曳舟川につきあたつたところで、妻が、「わたし、高校生のとき、アルバイトしたことがあるの」、と言ひだしたのです。まだ暗渠にならない以前、曳舟川にはところどころに橋がかかつてゐたんです。その橋の一つを渡つたところにあつた、プラスチックに関係した小さな工場に勤めたらしいのです。その工場があつたところを一緒にさがしながら、さらに妻が言ふには、「わたしがよく働くもんだから、そこの社長さんに氣にいられ、息子とつきあつてほしいと紹介されたのよ」、ですつて! 

いやあ、初耳でした。そしたら、妻のお父さんが大反對で、結局、そこをやめることになつたらしいのですが、そのころは、周りは田んぼや畑ばかりのところでしたから、今やぎつしりおしよせた住宅に埋もれてしまつたやうです。ついに、見つかりませんでした。こんどは、ぼくの好きだつた女の子の家のあたりをピクニックしてみようかと思ひました。 

 

今日の寫眞:①お花茶屋へ行く途中にあるゴルフ場を覗いてしまひました。②妻がアルバイトしたといふ工場があつたあたりの公園。中央のケヤキの木が實にいい形をしてゐました。

 


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