十月十三日(月)丁巳(舊九月廿日) 曇天、夕方から雨、風雨次第に強くなる

 

一昨日からはじめた、「中仙道を歩く(十九)」の册子版、前編がどうにか仕上がりさうです。ただ、ワード版を訂正したところがいくつかできてしまひました。

ところで、一休さんの咄をはじめたので、バランスをとるために、ぼく自身のことについて觸れてみたいと思ひます。まづ、ぼくが、日々いだいてゐる思ひは、小田垣雅也著『現代のキリスト教』(講談社学術文庫)にわかりやすく記されてゐます。それは、「人間がこの世の中で、世俗的意味で正当に生きることが、神と人間との関係の聖書的な在り方なのだ」といふ言葉です。ぼくの今の氣持ちにぴつたりです。ただ、「世俗的意味で正当に生きること」が、どういふ生き方なのか、考へる餘地を殘しているところがにくいですよね。先生らしいです。

實は、小田垣先生は、何を隠さう、ぼくたちの結婚式の司式をしてくださつた、靑學神學科時代のの恩師なのであります。先生の著作はたくさんあります。ほとんど自腹で購入しました。けれども難しいんです。いや、心に響く言葉をまとめた小册子も出してゐます。『神学散歩』なんかわかりやすくて、しかも含蓄に富んでゐて、それに説教臭くないんです。「世俗的意味で正当に生きること」をも敎へてくださつてゐます。ぼくは、こればかり繰り返し讀んでゐます。 

 

今日の『狂歌問答』:三回目です。

 

 「衣よりけさより俗の古じゆばん おのがきりやうで着るぞ尊き 蜷川」         

 「振そでと留袖とこそかハれども はだかにすれバおなじすがたよ 一休」

 「骨かくす皮にハたれも迷けん 美人といふも皮乃わざなり 蜷川」

 「皮にこそ男女のへだてあり ほねにはかハる人がたもなし 一休」

 

 いやあ、お二人の掛合ひ、最高ですね! 以上、半分だけ讀んでみました。あとの半分は、明日讀みますから、出來る方は、豫習してみて下さい。へへ! 

 

今日の寫眞:夕食のデザート、お初のクリ。それと、先日手に入れた雑誌に載つてゐた、「明治天皇巡幸圖」。

 


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