十月廿七日(月)辛未(舊閏九月四日) 晴れ、夕方から風が強くなる

 

朝、齒醫者に行つて、それから、慈惠大學病院に出かけるまで時間があつたので、思ひ切つてATOKサポートに連絡し、舊假名遣ひが使へるかどうか聞いてみました。すると、簡單な操作で「文語」に切り替へることができました。しばらく使つてみようと思ひます。聞いてみるものですね。

 

檢査は午後でしたが、終了後、神保町にまた寄つてしまひました。土曜日はごつたがへしてゐましたが、けふは閑散としたものでした。いつもは、特に探すものもないままに、出會ひをもとめてぶらつくだけなんですが、今日は、芥川龍之介の、『義仲論』を探し歩きました。文庫本にはありません。そこで心當たりのある、“古書かんかんむ“にいきましたら、案の定ありました。筑摩全集類聚の『芥川龍之介全集8』の初期の文章の中にありました。

實は、宮ノ越の「義仲館」を訪ねたときに、管理人のおぢさんが、自分で義仲についてまとめたといふレポートをくださつたのですが、その最後のページに、ぼくは釘付けになつてしまつたのです。

木曾義仲が後白河法皇の法住寺殿を焼き討ちしたことによつて、國賊とか惡者のやうに言はれてゐたことに關して、おぢさんは、芥川龍之介が、『義仲論』のなかで、はつきりと、それは「法皇の方が惡い」と言ひきつたことについて、「朝廷や天皇のことを悪しく言えば不敬罪で罰せられた明治時代に、これだけはっきり 『法皇の方が惡い』 と言いきった芥川龍之介の英知と勇気には、ただ頭が下がる思いである」と書いてゐるんですね。

これを讀んで、ぼくはどうしても、原文を讀みたかつたんです。古本で五百圓ですから、ちよいと高い氣もしましたが、即買ひしなければいつまた會へるか知れたものではありません。出がけの不安も吹き飛んで、いい氣分で歸ることができました。 

 

今日の寫眞:昨夜はじめて見た、「ヨルタモリ」の番組から。ガキに取り圍まれてゐるタモリより、やはり同年配と一緒のはうが面白い! けふの古本祭りと、夕食をいただいたアルカサール。

 



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