十月廿八日(火)壬申(舊閏九月五日) 晴れ

 

今日は、横になつて過ごしました。そして、梶原正昭著『岩波セミナーブックス 古典講読シリーズ 平家物語』(岩波書店)の、〈第一講 木曾最後〉を一氣に讀みました。讀んでゐて感動してしまひました。ぼくは、『平家物語』は二度讀んでゐるんですが、木曾義仲にはさう關心がもてなかつた感じがしてたんですが、これを讀みながら原文にあたつてゐたら、心が震えてきてしまひました。物語はかう讀むものなんだと敎へられた思ひがしました。

調べたら、『平家物語』は三部に分けるることが出來るんださうです。「第一部は平家盛時の叙事にして中心人物は清盛なり。第二部は平家流離時代の叙事にして中心人物は義仲なり。第三部は平家滅亡の叙事にして中心人物は義経たり」といはれてゐます。その義仲ですから、それだけ大きく取り上げられてゐるばかりではなく、内容的にも濃厚であつて當然です。それで、この「購読」を讀んでゐて感動してしまつたのでした。 

 

ところで、メールに屆く、「日本の古本屋メールマガジン」(その168・10月24日号)に次のやうなことが書かれてゐました。

 

江戸時代の司馬遼太郎:『近世刊行軍書論』   井上泰至

歴史学者も、日本文学研究者も、司馬遼太郎のことは嫌いだ。歴史学者から見れば、司馬は小説家なのに、一般から「司馬史観」などと持ち上げられている、からけしからん存在だ。日本文学研究者から見れば、政治家が愛読者になるような体制寄りの言説をばら撒き、文章は優しすぎて、通俗的すぎるという評価だろう。しかし、いや、それゆえにこそ司馬の読者は多い。そこがまたインテリから非難を受ける要因となっていく・・ 

 

いや、これは決してぼくの創作ではありませんよ。かう考へてゐる人もゐることを再確認いたしました。はい。 

 

今日の寫眞:日義村、德音寺にある木曾義仲(奥中央)と巴御前(手前左)の墓。

 

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