十一月五日(水)庚辰(舊閏九月十三日) 晴

 

『大日本史』、「叛臣傳」の源義仲を讀みました。ですが、ことさら惡口を言つてゐるやうには思へませんでした。といふことは、事實を記しながら、「叛臣傳」に入れることによつて、この人物は叛臣なんだといふことを言ひたいわけだつたんですね。

つまり、ものごとは、どこに分類されるかで、その價値がはじめから定められてしまふのです。先入觀は恐ろしいと思ひます。例へば、『平家物語』には、法皇はじめ公卿殿上人が義仲をあざ笑う場面が描かれてゐます。

「木曾義仲は、色白う眉目(みめ)は好い男にてありけれども、起居の振舞の無骨さ、もの言ひたる詞續きの、頑なる事限りなし。理なるかな、二歳より三十に餘るまで、信濃國木曾と云ふ片山里に住み馴れておはしければ、何かはよかるべき」。

なんてね! 外見だけで人を判斷したしまふものなんですね。ましてや、意にそはぬ者なれば、みなでおお笑ひといふことになるのでせう。

しかし、それは、田舎者だと決めつけ、分類したところから、その誹謗は出てくるのであつて、義仲個人をよく知つてゐるならばもつと好意的であつたはづです。

かういふことつてありがちなんですよね。ぼくたちも氣をつけなければなりません。

 

また、『中仙道を歩く(二十・後編)』、三ページをつひやして、木曾義仲について書いてしまひました。しかし、まだ完結したわけではありません。でも、これが、今度の旅の中心テーマですから、手抜きはしたくありません。

 

今夜の“夜のピクニック”は、久しぶりに、ラムちやん思ひ出コース歩きました。少し速めに三十分ほど歩きましたが、なんとはなしにはじめての道に紛れこんでしまひ、思はぬところでお寺を發見しました。また、猫が一匹ぢつとたたずんでゐました。

 

今日の寫眞:發見した普賢寺と猫。

 


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