十一月七日(金)壬午(舊閏九月十五日・望・立冬) 晴

 

『平家物語』を、これほど感動をもつて讀んだことがあつただらうか。『中仙道を歩く(二十・後編)』に、木曾義仲について書いてゐて、思はず胸がこみあげてしまひました。そのせいで、「義仲館」のところだけで、四頁も費やしてしまひ、後がないといつた感じであります。

また、義仲が最期を迎へた場所に、義仲寺が建てられ、芭蕉が自分を同じ寺に葬つてほしいと遺言したといふのですが、ちよいとネットで調べてみました。

 

「芭蕉翁は元禄七年(一六九四))十月十二日午後四時ごろ、大阪の旅舎で亡くなられた。享年五十一歳。遺言に従って遺骸を義仲寺に葬るため、その夜、去来、其角、正秀ら門人十人、遺骸を守り、川舟に乗せて淀川を上り伏見に至り、十三日午後義仲寺に入る。十四日葬儀、深夜ここに埋葬した。門人ら焼香者八十人、会葬者三〇〇余人に及んだ。其角の「芭蕉翁終焉記」に「木曽塚の右に葬る」とあり今も当時のままである。墓石の「芭蕉翁」の字は丈艸の筆といわれる。
 芭蕉翁の忌日は「時雨忌」といい、当寺の年中行事で、現在は旧暦の季節に合わせて、毎年十一月の第二土曜日に営む。」

 

さうとすれば、明日八日土曜日が、十一月の第二土曜日であり、「時雨忌」が行はれるんですね。行つてみたい氣持ちにさせられます。

 

朝、ユニコム葛飾に電話をして、「日本語ワープロソフト 一太郎2014 徹」をインストールすることと、基本的な使ひ方を敎へてもらへるやうに依賴しました。ふさはしい方が來てくれるといいんですが。

 

今日の寫眞:「義仲館」に展示されてゐる、以仁王の令旨を受けてゐる場面と樋口兼光と今井兼平の人形。

 


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