一月十八日(火)癸巳(舊閏九月廿六日) 晴

 

今朝、思ひ切つて、新橋に出かけました。かぶつてゐた帽子がどこにもなく、もしかしたら、その驛前ビルの地下で食事をした時に置き忘れたかも知れないと思つたからです。驛前廣場で行はれてゐた古本まつりに行つたときのことです。

それで、お晝どきに近く、忙しさうに立ち働いてをられるおばさんに、恐る恐る尋ねました。先日、かきフライ定食をいただいたのでしたが、そのとき帽子を忘れなかつたでせうか、と聞くと、ちよつと待つてといふから、どうかなと思ひましたが、小さな棚をさして、その奥にどう? と聞くのです。ぼくは伸び上がつて見ましたら、ありました。

いやあ、ほつとしました。實は、以前にもなくして、妻がやつと氣にいつたのを買つてくれたばかりだつたからなんです。この二、三日、それで、だいぶ責められてゐたんです。はい。

氣分がはればれしました。かうなつたら、神保町へまつしぐらです。三田線の内幸町驛からたつた四驛目です。はやく歸るつもりでしたから、靖国通りに面した一角と、ちよいと離れた西秋書店さんだけを訪ね、それでも大いなる収穫にほくほくしながら歸つてまゐりました。

その一册、塚本邦雄著『新撰 小倉百人一首』の帶にはかうあります。「藤原定家撰《小倉百人一首》は〈凡作〉百首といふ通説に鑑み、現代歌壇の博覽博識が同一百人のこれぞといふ珠玉の一首を陽光の下に立たしめその異同を明白にして論を俟つ意欲的書き下ろし」。『百人一首』を學ぼうとしてゐるぼくには、なくてはならない一册になりさうです。

それに、百人一首だけ影印で、古來の注釋(古注二十八本)がぞろりと竝記され、「注釈史の流れを窺はせる、古注待望のテキスト」と稱される、『百人一首古注抄』など。

 

歸宅すると、サツマイモが一箱屆いてゐました。以前、ぼくが擧式を擔當した方が、律儀にも、季節ごとに送つてくださるのです。ありがたいです。母と妻に、ぼくがちよいとありがたがられる貴重なひとときを與へてくれました。

 

今日の寫眞・・『百人一首古注抄』とともに、西秋書店さんで求めた、藤原定家の歌論、定家卿自筆『近代秀歌』の冒頭と、同じく影印本の、『式子内親王集』の冒頭です。なにせ、この三册あはせて千圓しないのですから、掘り出し物です!

 ところで、定家さんと式子内親王さんが、戀仲だつたのではないかと噂されてゐたの知つてゐました? 親王さんのはうが、十歳ほど年上だつたらしいのですが、二十歳早々の定家さんは一目惚れしてしまつたと思はれるのであります。はい。

 


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