十一月廿二日(土)丁酉(舊十月朔日・朔・小雪) 晴

 

考へたら、次の「中仙道を歩く」が數日後に迫りました。『中仙道を歩く(二十)』が思つたより早く仕上がり、だいぶ餘裕ができたので、寄り道をしすぎてしまひました。

それで、朝、近くのコンビニに行つて、道中持ち歩く資料をコピーしてきました。すると妻が、それなら、例のおせんべいを買つてきてよといふのです。堀切中央病院の先の小さなせんべい屋です。自轉車ですぐです。ところが、お店のシャッターが半分閉まつてゐたんです。まあ、いつものぼくだつたら、あきらめて歸つてしまふんですが、少し風邪ぎみの妻のお望みです。自轉車を降りて、ガラス越しに中を見ると、ちやうど息子さんと思はれる靑年がをられたので、「”われせん”ありますか?」つて聞きますと、籠を出してきてくれました。

シャッターには、黨分休業しますとあつたものですから、どうしたのかなとおもつて聞きました。すると、父が亡くなつたといふのです。ぼくは、つい最近會つたばかりだつたので、驚いてしまひました。ただ、お店はしばらくしたら始めるとのことでしたが、ぼくは、命のはかなさを、ふと感じてしまひ、ちやうどあつた袋四つをいただいて、「では、また來ます」と言つて歸つてきました。

亡くなつた原因がなんであつたかは聞きませんでした。いや、聞けなかつたんです。半分腰を折つたやうにして言葉をかはしてゐたので、聞きづらかつたこともありますが、ぼくは、どうも人の氣持ちに入つていくのがにがてなんです。どのやうに應へていいかとまどふからかも知れません。これも、子どものときの入院生活や、病氣といふもののもつ罪惡感がさうさせてしまふのかも知れません。

 

妻が風邪ぎみだなんて言ひましたが、どうもぼくものどをやられたやうで、急いで體を温めて寢床に入りました。ぼくの場合は風邪はのどからはじまります。まづは、體を温めて汗を流さなくてはなりません。これでだいたい治ります。夕方までに二度下着を取り替へるほど汗をかいたらよくなつて、美味しく夕食も食べられました。でも、部屋の濕度をあげて、一晩、用心して過ごさうと思ひます。

 

今日の寫眞・・「奥出せんべい」屋さんと、その“われせん”。

 


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