十一月廿六日(水)辛丑(舊十月五日) 雨

 

中仙道を歩く第二十一回二日目、また雨の朝を迎へました。もう諦め半分達觀半分!

昨日のゴール、倉本驛から出發しました。驛舎は、木曾川にそつた國道の山側にあり、無人驛です。“中央アルプス空木岳登山口”との標柱が建つてゐました。

その驛のガード下をくぐり、山道に入つて行きました。古い人家とともに、庚申塔や石佛が點在する野道ですが、これが舊中仙道かと思はせる雰圍氣に滿ちてをりました。が、またすぐに國道にもどりました。ほんとうは、山の中につづく舊街道があつたはづなんですが、便利な道ができると、古い方はすぐ廢道になつてしまふのですね。ここだけではありません。皆が新しもの好きなわけではないのでせうが、便利で快適、樂なはうへと流れてしまふのが人間の性(さが)といふものなのでせう。

倉本の一里塚は、そんな便利で一直線の幅廣い國道の向かう側に、指を差されて示されなければ氣がつかないところに、雜草に被はれんばかりにしてたたずんでをりました。

再び野道に入り、しばらくは美しい景色と木曾川の流れを樂しむことができました。とくに、川向かうの白い發電所には見とれてしまひました。あとで、大正時代に造られた「桃山發電所」と知りましたが、すでにゐ一〇〇年近くたつてゐるわけですよね。それにくらべたら原子力發電所では四十年が限度といふのですから、考へたら不敬罪、でない、不經濟きはまりないですね。しかも、一旦放射能被害が發生すれば、人が住めなくなり、それでなくても狹い我が國土を汚染で使用不可能なものにしてしまふのですから、はやく廢止するにこしたことはありません。一部の政治家や企業だけが儲かるやうなの施策はやめてもらいたい、などと思はず心の中で叫んでしまひました。

野道はまだしも、國道では走りゆくトラックの飛沫をもろに浴びて、これまた諦め半分達觀半分でと思ひましたが、放射能を浴びることを連想して、心中熱いものが込み上げててくるのを禁じ得ませんでした。

やつと須原驛に着いたときにはほつとしました。驛舎で體中の雨のしずくを拂ひ、一息つくことができました。ここは、櫻の花びらを漬けたものが有名なのださうです。その櫻漬けを賣りに來た娘との淡い戀心を描いた、幸田露伴の『風流物』の記念碑にも接することができました。

また、須原宿では、定勝寺を訪ね、住職から貴重なお話をうかがふことができました。重要文化財の山門は工事中でしたが、檜造りの“だるま大座像”は壓巻でした。

さらに、街道名所の岩出觀音堂に上り、天長院のマリア地藏に出會へ、さらに弓矢の一里塚を確認できたのは僥倖でした。お晝は、“道の驛大桑”でいただきました。

午後も過酷な行軍の連續でした。大火によつて面影を失つた野尻宿を通り抜け、下在郷一里塚跡確認後、眞つ直ぐにのびる中央本線を縫ふやうにして街道を進みました。つまり、街道は、木曾川の流れと迫つた崖とのあひだを、自然の地形に沿つて作られてゐることがよくわかります。

國道に出たところに、標高四八九㍍の表示がありました。倉本の一里塚のあたりが五八〇㍍でしたから、約一〇〇㍍下つてきたことになります。そこからは、南木曾、ゴールの十二兼(じゅうにかね)驛と十二兼一里塚に着いたときにはほつとしました。三時三〇分、三〇〇三〇歩でした。

今日の寫眞・・白亞の桃山發電所。定勝寺の“だるま大座像”と、岩出觀音堂。

 


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