十二月廿五日(木)庚午(舊十一月四日 晴れ

 

『歴史紀行三十九 中仙道を歩く(廿二)』、第一日目の分が書き終へました。三留野宿から妻籠宿までですけれど、それだけで六頁使つてしまひました。ワード版はだいたい十頁から十二頁をめやすにしてゐるのに、もう半分使つてしまつたのです。

まあ、それはそれとして、二日目、馬籠峠越えの寫眞を選んで加工しはじめたら、これまたたくさんで、すべてを載せるわけにもいかず、惱んでしまふところです。

 

ところで、昨日、『変体平仮名演習』(笠間書院)を讀み通すことができました。過ぐる十一月廿一日に、本書について觸れ、それ以來、毎晩寢床に入つてから、讀んできたんですが、とても勉強になつたとともに、自信がつきました。前半の「変体平仮名の諸体」の一覽は、常に參考にしなければならないいはば虎の卷です。本文でつまずくたびに、ちょくちょく見ては確認します。

そして、後半の「演習用本文」として、「古今和歌集抄」と「伊勢物語抄」と「源氏物語 花散里」と「徒然草抄」の四種(各本の拔粹)を讀んだわけですけれど、一字一字であれば判讀にするのに難しいことはありません。問題は、文字が連綿と連なつてゐるばあいです。どこでどう區切るのかがわかりにくいのです。

でも、同じ筆の本文を讀み進むうちには、慣れてくるので、これまた努力すればわかつてきます。この四種のうちでは、「古今和歌集抄」は十五の歌が取り上げられてゐましたが、すべて、最後まで難解でした。「伊勢物語抄」は、一段から十五段まで、ほとんど虎の卷を見なくても讀めました。「源氏物語 花散里」と「徒然草抄」(序段から二十四段まで)は、出だしの一、二頁ばかり努力したあとは、時々虎の卷のお世話になるくらゐで讀み通すことができました。

くづし字を學びはじめたのは、昨年の春、「中仙道を歩く(四)」の大宮宿あたりではじめて言及してゐますね。一葉記念館で催された「くづし字解読講座」を受講もしました。それから一年と八ケ月ほどになります。この歳になつても、やればできるのだといふことが身にしみてわかりました。猫も杓子もの外國語より、今や我が日本の古典語は希少價値がありますものね。やり甲斐がありますです。はい。

 

今日の寫眞:古本屋で百圓で買つたので、今やぼろぼろの『変体平仮名演習』(笠間書院)と、「徒然草抄」の中の有名な第十三段。「ひとりともしひのもとにふみをひろけて・・」です。

 


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