十二月廿六日(金)辛未(舊十一月五日 晴れ

 

今朝、妻と一緒に家を出ました。堀切菖蒲園驛から京成電車に乘りましたが、町屋驛でぼくは降り、銀座で友人と會ふといふ妻とは別れてしまひました。母には一緒に出かけると言つておきながら、ぼくは、そこから千代田線に乘りかへて新御茶ノ水驛下車、神田の古書會館へ直行いたしました。

今年最後のお樂しみです。古書會館の古書市は、今日と明日のぐろりや會が今年の締めくくりのやうで、大勢の人が押し寄せてゐました。掘り出し物もありました。特に、南北朝時代の信濃關係の本が見つかつたのです。これは、「中仙道を歩く(二十二)」の中で述べたいので、ここでは内緒にしておきます。

それと、これは三省堂の隣の三茶書房さんでたまたま求めたんですが、レジに持つていつたら、上品なご主人が、頁をひらいて、「これは、丸谷才一さんが遺された本なんですよ」と、おつしやるではありませんか。文庫本が千册ほどあつたんですが、ばらで賣るしかないので出したといふのです。それを販賣するのに、ご主人が言ふには、その證據として、「丸谷才一旧蔵本」の印を作つたんださうです。古書店主としてのせめてもの心遣ひなんでせうね。ぼくはありがたくいただいてきました。

 でも、丸谷さんが亡くなつたのは、二〇一二年十月十三日でせう、もちろん貴重な本はそれなりの収まり場所があつたのでせうけれど、だいたいの藏書本は、二年もたつと四散してしまふのですね。一應、丸谷さんの息がかかつた本です。大事に讀まさせていただきます。

 

今日の寫眞:千代田線御茶ノ水驛ホームの壁畫(モザイク畫)の一枚。「丸谷才一旧蔵本」二册。水色のはうは、『南畝文庫蔵書目録』といつて、大田南畝さんの藏書が列擧されてゐる本です。中仙道の『壬戌紀行』を書いた南畝さんですよ。その解題に、「その蔵書は、歿後間もなく散佚し始め」とあるやうに、丸谷さんに限らず、古今藏書といふものは、所有者が亡くなればたちまちに散佚する運命にあることがよくわかりました。

南畝さんの藏書で目立つたのは、「紀行」の本が六十四册。『壬戌紀行』を書くだけのことはありますね。また、「地理図類」(いはゆる繪圖です)が大量にあり、そして、好色本もたくさん、西鶴の好色ものはもちろん、例の『好色旅日記』などもあつて、これは、まづい本は早いとこ處分して置かなければならないと敎へられました!

それと、暮れの神保町古本屋街の二枚です。

 



コメント: 0