十二月卅日(火)乙亥(舊十一月九日 晴れ

 

今年もあと二日。といつても我が家では何も變化はありません。ぼくが机の回りの本を片づけたり、おせち料理の酢だこをもつと酢のきいたのにお願ひしますと、妻にちよいと注文させていただいたくらゐでした。

それで、朝から、パソコン三昧でした。昨夜仕上がつた、『中仙道を歩く(廿二)』の册子版の作成に取りかかつたのです。寫眞が自由に動くのが生理的快感です! 本文にはほとんど手を加へませんが、寫眞は少なくしました。取り替へもしました。だいぶスリムに、引き締まつた感じになつてきました。

 

「死ぬときまでそばに置いておきたい、座右の書ならぬ、座枕の書」、なんて小難しいことを掲げましたが、「枕頭の書」といふ言葉があるんですね。大事にそばに置いておく本のことなんでせう。ぼくも、いつも枕元に置いてあるわけではありませんが、手に取ることができるやうにしてあるので、「枕頭の書」と呼んでもいいんですが、それより、直裁に、ぼくの人生を形作つてくれた本ですから、「わがこころの書」とでも言いたいところですが、それも恥づかしいので、「ぼくの讀書」としておきます。

ただ、思ひついたまま引きだして記していくので、讀んだ順番ではありません。讀み終はつた年月日だけは一應記したいと思ひます。不思議ですね。手に取ると、讀んでゐたその頃のことまで思ひ出されてくるのです。

それで、今日の寫眞とは別項にします。

 

ぼくの讀書(三)・・アラン『幸福論』(現代教養文庫)。一九八〇年四月讀了。樣々な翻譯がありますが、この現代教養文庫の宗左近さんの譯がピカイチ! 「遠くを見よ」は、『中仙道を歩く(廿二)』でもちよいと觸れました。

 

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