正月四日(日)庚辰(舊十一月十四日 晴

 

『歴史紀行三十九 中仙道を歩く(廿二)』(三留野宿~大井宿)の册子版が仕上がりました。といつても、やつと紙面のバランスといふか、アレンジができた段階で、もう少し整へ、細部に誤りがないかを見たうへでないと、みなさんにお送りすることはできません。いや、がんばつて、今夜のうちに送つてしまひたいのです。

といふのは、「石橋山古戰場を歩く」歴史探訪が目の前に迫つてゐるからです。準備にかからなければなりません。それで、今日は、神保町の三省堂に行つて、二万五千分の一の地圖を買つてきました。「小田原南部」と「箱根」、それに、ついでに、中仙道の「中津川」と「恵那」と「武並」と「御嵩」です。やはり地圖がないと、これから訪ねるにしろ、イメージがわいてこないんです。

 

今日の寫眞・・弟が來たので、お晝は、ますやさんの鍋焼きうどんにしました。あれ、昨年のいつでしたつけ? 同じ鍋焼きうどんの寫眞を載せたら、それを見て、ドイツの愛(よつ)ちやんがよだれを流したといふことでした! ハッ、ハッ、ハ。いへ、可哀想だと思つてゐます。はい。

三省堂に行つたので、「神田すずらん通り」をちよつと狙つてみました。靖國通りを横斷中、道路の眞ん中でしか狙へないアングルなんです!

 


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