正月八日(木)甲申(舊十一月十八日 晴

 

『歴史紀行四十 石橋山古戰場を歩く』と題して、昨日の旅を紀行にまとめはじめました。まづ、撮つた寫眞二九二枚から選び出して加工し、引き續いての執筆は、「ひげ日記」に手を入れ、肉付けしながら進めました。中仙道とはまた違つて新鮮です。何より、伊豆で生活してゐたことがいろいろとよみがへつてきたのです。

早川驛から根府川驛間は、踊り子號でほぼ毎週通つてゐたこと、源賴朝が流された蛭ヶ小島と北條時政の屋敷跡と伊東祐親の墓を訪ねたことなどが思ひ出され、これらを用ゐない手はないと思ひました。さつそく當時寫した寫眞を探しました。ちよつとものたりませんが、まあいいでせう。

その他に、伊東祐親との關はりで、曾我兄弟の像のある河津と彼らの墓を訪ねた寫眞、それと、鎌倉の賴朝の墓を訪ねた寫眞まで見つかりました。少しはふくらみのある紀行にしてみたいと思ひました。

 

ぼくの讀書(六)・・齋木一馬著『古記録学概論』(吉川弘文館・二〇一〇年一月十六日讀了)。小山田和夫著『入門 史料を読む 古代・中世』に續いて取り組んだ古典獨學の教科書です。日記と記録に關する若干の解説につづく〈古記録演習〉が主内容です。

宇多天皇の「寛平御記」から、「小右記」、「御堂關白記」、「明月記」、「玉葉」、「吾妻鏡」、「看聞御記」など、三十の日記・古記録を取りあげ、それぞれわづかな分量ですが、讀んで解釋するお勉強です。わからないなりに讀んでいくと、何かが沈殿してくるからでせうか、だんだんわかつてくるんですね。釋文を見い見いしながらも、讀み通せたときには、思はずガツッポーズ。傍らにゐたラムが怪訝さうに見てゐましたつけ。 

 

今日の寫眞・・ぼくの「のどミスト(超音波吸入器)」。ぼくの風邪はのどからで、一番弱いところでもあります。それで、ちよくちよく吸入してゐます。

 


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