正月十四日(水)戊(舊十一月廿二日 晴

 

午前中、『歴史紀行四十 石橋山古戰場探訪』册子版の最後の推敲をしながら、なんとなく、テレビの「歌会始」を聞いてゐたら、その内容が、本や讀書に關する歌が多い、といふより、ほとんどなのには驚きました。そしたら、あとで、お題が「本」だといふことがわかつて、納得しましたが。

けれど、そのとき、何の脈絡もないのに、何故か、「必要なことは、解釋ではなく。變革である」といふ誰かさんの言葉が、ふと思ひ出されて、自分自身びつくりしてしまひました。

「歌会始」は宮中における新年行事ですけれど、辞書によると、十四世紀の貴族の「日記」にその記録があるといふのですから、一應由緒あるものなんですね。ただ、整へられたのは明治になつてからなので、天皇制構築強化のひとつに利用したんでせう。

勅撰和歌集が何册もまとめられてゐて、一應誰でも讀むことはできますけれど、百人一首についても感じることですが、和歌といふのは、ほんとうは、耳で直に聞くものなんでせうね。そんなことを思ひました。

それにしても、みなさん、お行儀よく座つてをられるのはいいとして、耳で聞いてゐるだけでその言葉の意味まで聞き取れてゐるのでせうか、とちよいと老婆心ながら感じてしまひました。それとも、ぼくの耳がわるいのでせうか。

また、皇后の歌が披講されたときの、天皇の、美智子さんを見つめる優しいまなざしには何か感じるものがありましたです。ぼくも、我が美知子妃殿下を、そんなまなざしで見つめてあげたことがあつたらうかと、ふと思はずにはゐられませんでした。

 

『石橋山古戰場探訪』册子版は、二十九名の方にお送くりしました。ワード版の約半分の方になります。まあ、反應がいただけるのは、いつも四、五人ですから、ちよいと寂しい氣もしますが、なにせこちらからの押賣りですからね、わがままは申し上げません。でも、『一路』のなかで、「知る人のいないことが孤独なのではない。知った人がみな背を向けることが孤独というものであった」とありましたよね。同じとは申しませんけれど、近頃孤獨を感じるのはそのためでせうか?

 

夕食後、久しぶりに妻と“夜のピクニック”に出かけました。この二、三日、パソコンの前を動かなかつたものですから、妻のはうから、そろそろこのままぢやあ、まづいんぢやあない、とお誘ひがあつたからです。八時一〇分に家を出て、歸宅したのは一〇時一五分でした。歩數も七二五〇歩と、だいぶ歩きましたが、ほんとうは、綾瀬驛下の東急で買ひものしたり、ブックオフに立ち寄つたり、随喜稲荷を見たりで、ストレッチ的な散歩とは言へませんでした。ただ、妻とあれこれお喋りができたのでよかつたです。といふわけで、ぼくは孤獨ではありませんでした。前言を取り消します。

 

それと、實は、今日、OCNのサポートセンターに電話して、よく説明を聞いたうへで、“マイポケット”の契約をしました。それはそれでいいんですが、その時、ついでに、メールやネットで、文字を書かうとするとアルファベットになつてしまふけれど、めんどうだから、はじめからかな文字で書けないのかと、少しきつく聞いたんです。

そうしたら、パソコンは、本來横文字用だから、そのオプションとしてしか「かな」は使へないといふ、日本人としては、誠に理不盡といふか、怒りたくなるやうなご返事でした。我が日本語がオプションなんですつて! 横文字の付けたりなんですつて! どうしたもんでせうか。やはり、「解釋ではなく。變革」が必要な時がきたんでせうか!!

 

今日の寫眞・・道路にはみ出したサボテン。錆びたリアカー。東急で食べたアイスクリーム。隨喜神社。夜の綾瀬驛裏はいいにほいひがただよつてくる!

 



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