正月十七日(土)癸巳(舊十一月廿七日 晴のち曇り

 

今朝もOCNに電話してしまひました。それで方法を敎へていただき、一旦アップロードしたものをすべて削除しました。そして、それから、改めて、整理し直したピクチュアとマイドキュメントのアップロードを開始。これでうまくいけばいいなと思ひます。が、なんと、四五三八二個のファイルなんです。時間がかかりさうです。

 

ネットで注文した、『西行一代里巷伝』(和泉書院)が屆きました。内容は、影印の「新板繪入 西行物語」(寶永二年・一七〇五年)と、翻刻の「絵入新刻 西行法師一代記」(文政五年・一八二二年)の二部になつてゐます。もちろん、影印版『西行物語』を讀むためです。

『西行物語』は、講談社学術文庫で以前讀んだことがあるのですが、何が書かれてゐたか、もう忘れてしまひました。なにせ十四年前ですから。

今度讀む氣になつたのは、「中仙道を歩く」の大井宿には、西行にちなんだ史跡がいくつもあり、少しは調べておかなければならないと思つたからです。ついでに、くづし字の勉強ができるのですから、一石二鳥です。

『百錬抄』保延六年(一一四〇年)十月十五日の條に、「佐藤右兵衞尉憲淸出家。年廿三。号西行法師」とあるのでわかるやうに、西行は、廿三歳で出家遁世し、旅に生きた僧でありました。ですから、旅は、西行にとつて修行の旅であり、そのおかげで、全國各地に「史跡」があるやうなんです。でも、どうして大井宿に幾つもあるんでせうか。そこをぜひとも調べなくてはなりません。 

でも、ぼくは、好きなおかずは後で食べるやうに、肝心なことをあと回しにして、回りから攻めていく癖があるんです。この、『西行物語』も直接に答へてくれるとは期待してゐませんが、まづ、謎を探る第一歩としたいと思ひます。

 

 

 

 

ぼくの讀書(十)・・『西行物語』(講談社學術文庫・二〇〇一年八月廿三日讀了)と今日屆いた影印版『西行物語』。本といふのは、それだけを讀んだだけではすぐ忘れてしまふものだといふことがわかります。例へば、ある一連の勉強や研究を通して、他と關連づけて讀むことが大切に思ひます。でも、ほとんどは、その時樂しめればいいやうな書物ばかりですけれどね。

 

 

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