正月(睦月)廿一日(水)丁酉(舊十二月二日 曇天、みぞれが降つたりやんだり

 

今日は、明學時代からの友人の藤卷さんと秀子さんと三人で、谷中から根津、池之端、そして上野廣小路まで散策いたしました。また何とも氣温の低い一日でしたが、歩いてゐたのでさう寒さは感じないですみました。

日暮里驛に一〇時三〇分に待ち合はせて、まつすぐ谷中靈園を訪ねました。昨年十二月九日の史策會でも訪ねたのですが、ぼくの中では、そのときのがした人物の墓地を探さうといふ氣持ちで巡りました。

どんな方のお墓があるかと言ひますと、先回訪ねた、川上音二郎、高橋お傳、ニコライ、德川慶喜のほかに、上田敏、圓地文子、鏑木淸方、佐佐木信綱、澤田正二郎、獅子文六、澁澤榮一、田口卯吉、馬場辰猪、廣津和郞、福地櫻痴、宮城道雄、本居長世、横山大觀など、これはぼくが知つてゐる人物だけですが、たくさんをられるのです。

それで、五重塔の焼け跡を見たあと巡りましたが、あちこちに分散してゐるので、ぐるつと大きくめぐる道にあるものだけを探しました。その道は、いつも京成電車や山手線からながめてゐた景色の場所に出る道で、電車の行き來はもちろん、スカイツリーも見えました。

まづ、長谷川一夫。五重塔のすぐ向かひにありました。つづいて圓地文子。これは、巡回中の警備の方に聞いてやつとわかりました。そして澁澤榮一です。これは、きつと、この靈園のなかで、他とは比べることのできない最大級のお墓でせう。ただ、現在工事中で、それがおそらく、整理のために十分の一ほどに(?)縮小されてゐるところでした。それと、秀子さんの希望で、石原純といふ、歌人なんでせうか、そのお墓も訪ねました。

いやあ、お墓つて何なんでせうかね。かつて、この國においては、お家斷絶が最大の不幸といふか避けるべきことで、だから、いざといふときには、養子を迎へることが常識でした。祀る本人も、自分を祀つてくれる子孫が絶えることを最も恐れてゐたんです。

それなのに、こんにちにおいては、お墓を手放すといふか、放棄してしまふことが社会問題になるくらい多いと聞きます。ぼくが以前訪ねた墓地には、連絡がないので處分しますといふ内容が書かれた紙片が、たくさんの墓石に貼つてありました!

 

さあ、早速、ドイツ在住の愛ちやんからご返答がありました。

・・・日本人の人質事件、どうしようもなく心が痛みますよね。脅迫文を読んで、ああ、安倍ちゃん、火に油を注いじゃったな、月光仮面の政治では困るな、聖戦意識で戦っている人に、正義のモラル(十字軍)で戦うと、勝敗なんてありえないし、混沌は長期になるだろうな、と思います。どんな思想や宗教上のテロ行為も、どんな差別主義(反イスラム、反ヨーロッパ、反有色、)の運動も、私たちに平和と平安をもたらしてくれません。日毎のニュースで踊らされるの嫌ですから、黙って静かにしています。これが、世の中で一番良いみたいです。

フォークトにて・・・

ぼくもできれば、「黙って静かにして」ゐたいです。はい。

 

ぼくの讀書(十三)・・ヴァイツゼッカー演説集『言葉の力』(岩波現代文庫)。こんな政治家、我が國にも欲しい、と思へる内容です。全部いいんですが、〈無関心の名の、心に着せた外套を脱ぎ給え〉といふ講演から、ひと言引用します。

「われわれは、当事のことを思い浮かべるためにこの場に集まっておりますが(*)、これが公の場で回想し、連帯を示すためだけの儀式に止まってはなりません。思い浮かべるということはすべて、われわれ自身の現在の行為です。われわれの視点、疑問、方向づけへの探求は、この現在に規定されております。今日の要請に応えるために、過去を繰り返し理解し、解釈し直すのです」。まさに、歴史はどう學ぶべきかを敎へてゐますね!

*「当事のこと」とは、解説者によると、「ショルツ家のハンス、ゾフィー兄妹を中核とするグループ『白バラ』が、ヒトラーとナチズム支配への抵抗を呼びかけるビラを密かに配り・・・逮捕され、すぐに四日後には処刑された。その直後、グループに助言を与えていたクルト・フーバー教授のほか十四人の学生が捕えられ、教授ら四人は死刑となった」といふ事件です。歴史は死んではゐないのです。それを上手に「思い浮かべる」ことによつて、「われわれの視点、疑問、方向づけ」が與へられるのです。言ひ換へれば、「今日の要請に応えるために、過去を繰り返し理解し、解釈し直」すといふことですね。

 

今日の寫眞・・谷中靈園の墓地名簿。以下、澁澤榮一の墓地前、下谷風俗資料館付設展示場にて記念寫眞、上野廣小路のとんかつ武藏にて。



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