二月八日(日)乙卯(舊十二月廿日 晴のち時々小雨

今日は讀書、といふか、『中仙道を歩く(廿三)』(大井宿~御嵩宿)で出會つたキリシタン遺物の謎を探るために勉強をしました。そして、その結果、美濃地方になぜキリシタンがゐたかがわかつてきました。

ラウレスの『きりしたん史入門』をかたはらに、先に、〈西行〉でお世話になつた、唐木順三さんの『中世から近世へ』(筑摩書房)所収の、〈鎖国〉と〈キリシタン問題〉の章を讀みながら、それにあはせて、ルイス・フロイスの『日本史 キリシタン伝来のころ』(東洋文庫)をひもといてみたら、だんだんにわかつてきたんです。

また、事柄をよく理解するために、簡單な年表も拵へてみました。すると、フランシスコ・ザビエルは有名ですが、來日して二年足らずで日本を去つてすぐ亡くなつたこと。それに對して、ルイス・フロイスは三十年も滯在して、しかも長崎で没してゐることなどが明らかになつてきました。

ぼくにとつての謎は、何故キリシタンが美濃地方に、といふことでしたが、その謎を追究することによつて、信長と秀吉と家康それぞれの、キリシタンへの考へ方や對應もわかつてきましたし、また正親町天皇がキリシタン迫害に深く關與してゐたことも浮かび上がつてきました。

『きりしたん史入門』と『中世から近世へ』所収の〈鎖国〉と〈キリシタン問題〉の章を讀んだと言ひましたが(まだ途中ですが)、讀み通しただけでは通り一遍の知識しか頭の中に入つてきません。ぼくがしたことは、一つには、例の『史料綜覽』と『德川實紀』を手元において、例へば、秀吉が出した禁教令が出てきたら、それがどういふものなのかを實際に見ることです。そして、二つ目は、ルイス・フロイスの『日本史』の索引から、「美濃」と「岐阜」の出てゐる頁をすべてあたつてみたことです。それだけでもたいへん多くのことがわかつてきました。ただ、「紀行」にはそのお觸りしか書けないと思ひます。

 

今日の寫眞・・自作の《きりしたん史年表》。このあとさらに調べたことを記入していけば、ぼくのキリシタン年表が完成です。と同時に、ぼくのキリシタンについての理解がまとまることになります。まあ、さう簡單には完結はしませんけれど、これからの勉強に役立つことはたしかですね。

それと、ラムが死んで、一度は閉ざしたベランダだつたんですけれど、よく出入りしてゐた寅が、子猫三兄妹に遠慮してちよつと可哀想になつたので、再び解放してあげました。



コメント: 0