二月十八日(水)乙丑(舊十二月卅日 氷雨

今日は一日中、ふとんの中で本を讀んでゐました。寒い日には、温々しながらの讀書が最

高! なんて、ばかみたいなこと思ひつつ、心は、すでに次回の中仙道に飛んでゐるのであります。このあたりは戰國時代末期、織田信長が霸權爭ひで頭角を現しはじめた場所ですからね。ほんとは、ぼくは織田信長があまり好きではない、といふか近づきたくないんですが、この際、好き嫌ひを越えて、臨んでみなくてはなりません。

 かといつて、はじめから専門書といふわけにもいかないので、昨日買つてきた、遠藤周作『対論 たかが信長 されど信長』(文藝春秋)を讀みはじめたら面白く、ときたま居眠りしながらどうにか半分ほど讀みました。なにしろ、對論相手が、錚々たる學者や作家たちですから、事柄がよく見えてきて實に勉強になります。

 

今日の讀書・・遠藤周作『対論 たかが信長 されど信長』(文藝春秋)を讀んでゐて、面白いと思つたところ。まづ、信長は、フロイスから地球儀を見せられて、すぐ地球は丸いといふことを理解したといふのです。それに對して、後に德川幕府の大學の頭である林羅山は、この人は幕府切つての知識人ですが、同じやうに地球儀を見せられて、地球は丸いなどとはもつての他だと怒つたといふことです。この違ひ、なんなんでせう?

また、信長の當面の敵が、一向宗や叡山だつたといふことです。さういへば、教科書で學んだかな、といふはかない記憶しかなかつたんですけれど、このやうな宗教を相手にしてゐた信長にとつて、キリスト教はどのやうに見えたのでせうか。いや、結局のところ、信長にとつては、利用價値のあるものとしか見えてはゐなかつたんでせうけれどね。

最後には、自らを神であるかのやうに振る舞つて、フロイスたちからは、危険視されはじめたといふんですけれど、その反面、關所を撤廃したり、下人を解放、家族が一つ屋根のもとに暮らせるやうにしたり、まことに多才、いや多彩な人物であつたやうです。

もう一つは、信長と天皇との關係です。正親町天皇との軋轢のさまが興味をひきますが、結論はつけられないやうです。

 

ところで、今日、久しぶりに仕事の依賴が舞ひ込んできました。即答で了解しましたよ、もちろん。最近肩身の狹い思ひでゐたので、心底からほつとしてをります。

 

今日の寫眞・・昨日の古本市で見つけた、信長本その他です。これで、千圓ちよつとですからね。古本様々であります。はい。


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