二〇一五年二月(如月)廿一日(土)戊辰(舊正月三日 晴

『歴史紀行』四十一と四十二(『中仙道を歩く(廿三・前編・後編)』)の册子版が仕上がりました。どうにかセーフですね。氣持ちを入れ替へて、次回の準備に取りかからなくてはなりません。でも、事前の準備はせいぜい半分といつたところでせう。やはり現地を歩いてこそ、内實がともなふものだと思ひます。

それで、今回は三十一名の方にお送りしました。前編が三・四四MB、後編が六・九三MBでしたので、別々に送りました。ただ、いつも、どういふわけか二、三の方にエラーが出るんですね。

 

晝間、作業してゐたら、妻がまた紙ぺらを持つてきて目の前に差し出すのでした。讀めといふことらしいのです。はい、と言つてその場で讀みました。ニーチェの『人間的な、あまりに人間的な』からの言葉のやうです。

「長い対話としての結婚・・・結婚するにあたって、自分に問うてみなくてはならない。この女性(男性)と老年になってもよく話し合うことが出来ると思うか、と。結婚生活において、他のすべてのことは皆移り変わる。だが、交わりの大部分の時間は対話に属する」。そのあとは、妻の言葉なのかどうか? 括弧して、「伝えるべき相手への関心があるかぎり話さずにはいられなくなるはず!!」とありました。

強烈ですね。かうして、たまあにぼくは試みられるんです。はい。もちろん、君には興味も關心もむんむんですよとお應へしました。しかも、自然にね。ここで下手に芝居氣など出すとすぐ見破られますからね。それにしても、この五月で、結婚して四十二年です。

 

今日の寫眞・・今回の、『中仙道を歩く(廿三・前編・後編)』で役立つた二册。ただし、フロイスの『日本史』は全五冊です。



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