二月廿五日(水)壬申(舊正月七日 曇りのち晴

今日と明日は中仙道を歩くの二十四回目、御嶽宿から鵜沼宿まで歩く豫定です。

今回からは、東海道新幹線で名古屋まで行き、バスに乘り換へてスタート地に向かひました。八時三分發ひかり463號、名古屋驛には一〇時九分着。驛前からバスに乘りかへました。參加者は三十一名。リーダーはおなじみ山寺さんです。御嶽宿蟹藥師出發は一一時四〇分、薄日がさす曇り空でした。

最初に現れたのは關の太郎の首を祀つた鬼の首塚でした。前回探檢した鬼岩公園の中に、その岩屋がありましたね!

すでに山間地をあとにして平坦地です。しかも國道と付かず離れずの味氣ない街道がつづきました。

すると突然地元のおぢさんが近づいて來て、是非とも案内したいと連れて行つてくれたのは、顔戸(ごうど)城址でした。おじさん個人で説明板を作つて顕彰につとめてゐるやうなのであります。いやそのおかげで、街道から五〇メートルほど離れた城址のそばまで行くことができました。かういふ方がをられるからこそ守られていくものがあるんだなあと、だいぶ感激してしまひました。

ただ残念ながら川向かふの「在原黄門行平郷之墳」碑までは訪ねることはできませんでした。さういへば、龍安寺の石庭のモデルとなつた庭園で有名な愚溪寺も素通りでした。

つづいて比衣一里塚を確認し、かつて日本一の亞炭鑛があつたといふ丘陵地のへりを進み、脇道に入った廢線となつた道路のかたわらに立つ石碑を見たとき、ぼくは遠い遙かな世界へ引き込まれるやうな錯覺といふか幻覺に捕らはれさうになりました。それは大柳跡の石碑といひ、その昔、飯盛り女たちが願ひをたくして訪れた柳跡だつたんです!

 

あれ、またおくれさうになりながら追ひついてみると、そこは伏見宿本陣跡でした。

伏見宿は言はれれば氣づくといふやうな、しかも數軒の舊家があるだけの寂しい宿場跡でした。ただ道路脇の民家の玄關先にところどころで雛人形が飾られてあるのが印象的でした。もうひな祭りの季節なんですね。飯盛り女たちも飾つたのでせうかね?

その出口付近に播隆碑が忘れられたやうに立ち、ふと顔を上げるとはるか木曽川をはさんでいくつかの山が霞んでゐました。さういへば、あのどれかが明智城址がある山なのかなと思ひをめぐらせました。

曇りのはづが日差しが強くなり、一里塚を確認後、やつと晝食會場にたどり着いたときには汗でびつしより。到着した午後一時三五分から一時間、食べかつゆつくり休みました。そこは、かつて、日光街道を歩いた時にも入つたことのある同じチェーンのすたみな太郎でした。

晝食後、歩きはじめたとたん、ぼくをあわてさせたのは、通り過ぎてから氣づいた愛知用水でした。またまた後れるのを覺悟して、用水を確認して寫眞も撮つてきました。國道を斜めに横切る水路が、雑草にさえぎられて氣づきにくかつたのでした。

 

JR太多線の踏切を越したあたりからは、ほぼ直線の國道を歩きに歩きました。木曽川はまだ視野に入つてきません。が、今渡神社の鳥居を過ぎ、龍洞寺の前を通り、富士淺間神社にさしかかつたとたん、街道が右に折れ、下り坂になりました。

すると、靑い鐵橋が目に飛び込んできたんです。木曽川の太田の渡しです。橋のたもとに着くと、たうたうと流れるその水量は、三留野の桃介橋で見たときのそれとは別の川だと思はせるほどでした。たしかに、下るに從つて、多くの支流を集め、このすぐ上流では飛騨川が合流してゐるんですから、當然ではあるんです。

 

橋は、車道と歩道との別の橋梁が平行してゐましたから安心でしたけれど、歩道橋がなければ無事に歩いては渡れないほどの狹い幅でした。はるか上流方向に目をやると、どなたかが、あれは御嶽山ですよ、といふので焦点をあはせるやうに目を凝らしました。すると、春霞とはまだいへないでせうが、花粉も多く飛んでゐるからでせうか、白く濁つた空との境に、眞白な御嶽山が、しかも噴煙を白くたなびかせて横たはつてゐるではありませんか。手前の山々が取り拂はれた木曽川の橋の上ならではの光景なのであらうと、ひとり合點いたしました。

橋のうえから見えた、日本ラインの船着き場には人ひとりをらず、引き上げられた舟が積み上げられてゐるのを見たら、廢止されたのではないかなと思ひました。また渡りきつた土手下の水邊には、化石の森が見られ、あれこれ氣をつかひすぎたせいか、氣持ちが賑やかしくなつて集中力が極端に衰へてきました。

さう、かういふ時にこそアランですね! 遠くを見よ、です。幸ひに堤防の上の道路に出たので、視野が一瞬にして開け、大河を中心にして遙かなる山々、太陽の光を浴びた川面の輝き、振り返れば渡つてきた靑い太田橋が一望のもと、心も晴やかになりました。

次いで、文化會館の裏にあたる堤防下に一里塚を確認。そこでトイレ休憩のあとはもう太田宿まであと一息。と思ひきや、堤防のきはに岡本一平終焉の地碑が目に飛び込んできました。こんなところで、と思はづ聲が出さうになつてしまひました。

そこから舊道の宿場の町竝みにもどりました。渡しを控へて賑はつた喧騒が感じられるやうな宿場の見本とでも言ひたい家竝みがどこまでもつづいてゐます。

ぼくたち一行は、その途中で右折、つまり北に進路をかへて、美濃太田驛に向かひました。今日の宿舎は、ホテルルートイン美濃加茂、驛の眞横です。川野さんと二人部屋。ただ、夕食は他のみなさんと、フロントお薦めの「うお処 たっちゃん」に行き、飮み物で乾杯、樂しいひとときをおくりました。風呂も大きく、のんびりつかつて疲れを取ることができました。

 さうさう、今日の歩數は、一七九七〇歩でした。

 

今日の寫眞・・顔戸城址のおぢさん。大柳跡の石碑。太田橋。文化會館裏の木曾川。それに、「うお処 たっちゃん」と夜の美濃太田驛です。





コメント: 0