三月二日(月)丁丑(舊正月十二日 晴

日差しは暖かでしたけれど、ちよいと風がありました。午前中は讀書。晝からは弓道のお稽古にまゐりました。汗を流すほど激しくはありませんが、それでも、心身共に緊張します。もうだいぶ稽古を積んできたはづなんですけれど・・、さうでもないか? 今日も先生から「打起し」と「離れ」を注意され、その通りに從つてみると、たちまち的中したんです。自己流といふか、自分の癖がいかに危ふいかを改めて敎へられましたです。はい。

 

今日の讀書・・いやあ、今日も興奮してしまひました。また、丸谷才一さんですよ。その、『輝く日の宮』を讀みつづけたんですが、今日のところは、まるで源氏物語論なんです。實に面白い、といふか、『源氏物語』をぼくも讀まなくてはならないなと思はせられたのであります。また、丸谷さんの話の筋がうまいのですねえ。

主人公が女性の國文學者であるといふことは、前にも書きました。その杉安佐子さんが、前回は『芭蕉はなぜ東北へ行つたか』を發表したのでしたが、今回は、「『日本の幽霊』シンポジウム」のパネラーとして參加し、そこで、『源氏物語』を専門とするやはり女性の學者と論爭になるわけなんです。はじめのうちは、『源氏物語』には何故幽霊がたくさん出てくるのかといふ展開なんですが、ぼくがとくに引かれたのは、『源氏物語』は、はじめに書かれた部分と、そののち挿入された部分とに分けられるといふ話です。ただ、これは、小説の中の話ですから、どこまでがいはゆる源氏物語學會(?)でも通用してゐる内容なのかはわかりませんけれど、とても刺激的です。しかも、安佐子さんによれば、「桐壺」の卷と「帚木」とのあひだに「輝く日の宮」といふ卷があつたのではないか、それが本書の表題になつてゐるのをここで知りました、が、その卷が入ることによつて話の辻つまがあふといふのですね。

そしてさらに興味深かつたのが、紫式部と藤原道長との關係です。列擧しますと、かうなります。一、雇用主。二、性的パートナー。三、讀者。四、批評家。五、題材の提供者。六、モデル。七、原稿用紙の提供者。

つまり、道長は、式部の愛讀者で、その才能をかつて娘の家庭教師に雇ひ、まあ、お相手もさせながら、いろいろと批評もし、宮廷の誰それの情報を提供し、また式部はそんな道長をモデルとして人物像を豐かに描いた、それが『源氏物語』であるといふのです。それと、原稿用紙の和紙ですね。これは當時は非常に高價でしたから、道長の協力なくしては、『源氏物語』は完成しなかつただらうといはれるくらゐなんです。納得です。

 

さういへば、ぼくの『歴史紀行』は、今は中仙道オンリーになつてはゐますけれど、本筋は我が國の歴史の流れに沿つた紀行です。秘密を打ち明けると、ぼくの紀行は、しばらく前に亡くなられた、宮脇俊三さんの『古代史紀行』と『平安鎌倉史紀行』によつて誘發され、時代順、いや年代順に歴史とその場所を訪ねることをはじめたのでした。

飛鳥、藤原、長岡、平安と進み、菅原道眞さんまでたどり着いたのでした。そしてそこのところは、一應、『歴史紀行』の十二卷あたりまでにまとめました。が、そこで、中仙道に出會ひ、脇道にそれてしまつたわけで、中仙道が京都三條大橋までたどりついたら、再び平安時代に歸りたいと思つてゐた矢先なのです。源氏物語は魅力的ですね。『源氏物語を歩く』なんて本をすでに二、三册入手してをりますし、準備はできてゐるんです。

 

それで、ぼくも、一度は讀んでみたいと思つてゐる『源氏物語』ですけれど、そのきつかけがなかなかなかつたんです。いや、本を讀むといふのは、ただでは讀めないものなんです。きつかけといふか、必然性といふか、讀むべき環境がととのはないと、ただ讀んだだけでお仕舞ひといふことになります。

今のところ、いつぺんに讀むことは無理でせうから、さう、ダイジェスト版でも讀んでみますか。といつても、野々口立圃自筆版下本複製『十帖源氏』(古典文庫)といふ影印本なんです。去年の十月の古本市で、上下二册で六〇〇圓といふ廉價本です。そろそろ、くづし字を讀むのも、勉強の段階から、讀書の段階に飛躍しなくてはならないと思つてゐたところなので、これは打つてつけです。

 

今日の寫眞・・弓道のお稽古風景。差しさわりないアングルを選びました。『十帖源氏』上下、それと、宮脇俊三さんの紀行本です。

 



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