三月八日(日)癸未(舊正月十八日 曇天、一時小雨、寒い

今日は疲れたのと、寒いので、いつものやうにぬくぬくと蒲團の中で本を讀んで過ごしました。ただ、「東京新聞」朝刊の、《本音のコラム》が、日曜日は山口二郎さんの執筆なので、それだけは姿勢を正して讀みました。

 

今日の讀書・・『歴史紀行四十三 中仙道を歩く(廿四)』(御嵩宿~鵜沼宿)を書きはじめました。一度、「日記」に書いてゐるので、あとは内容を豐かに肉付けするだけ、と思ふと少し氣が樂です。といふわけではありませんが、このところ、「源氏物語」について讀み進んでゐます。原文を讀んだのは、まだ「桐壺」の卷だけで、あとは小説と參考書ばかりなので、胸を張つて『源氏物語』を讀んでゐるとはいへませんね。

先日讀んだ、丸谷才一さんの『輝く日の宮』は、どちらかといふと、教養小説といつてもいいかと思ひますが、今讀んでゐる、森谷明子著『千年の黙(しじま) 異本源氏物語』は、ミステリーです。

「桐壺」と「若紫」との間にあつたはづの、「かかやく日に宮」の卷がどうして抜け落ちてしまつたのか。こちらでは、作者のもとに、話の筋が通らないといふ批判があちこちからよせられたので、その理由を探つていくうちに、それらの人々が、「かかやく日の宮」の卷を讀んでゐないからだといふことがわかるのです。では、何故その卷が缺けてしまつたのか、寫本がなされつつ人々の手に渡つていつた、そのどこで缺落したか、などとあつて、『源氏物語』の内容と、紫式部の生きてゐる宮廷がダブつてゐて、ときたま混亂してしまひます。

まあ、このやうに、謎をめぐつて、それを探求する推理小説といつた趣きがあります。あともう少しで讀み終りますが、結論は書かないでおきませうかね?

 

今日の寫眞・・「東京新聞」朝刊の切り抜き。山口二郎さんの執筆の《本音のコラム》。

それと、二〇一一年十二月三十一日に訪ねた、紫式部のお墓。どういふわけか、小野篁と同じ敷地内にあるんです。詳しくは、『歴史紀行六 平安京編二』を參照してください。



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