三月廿二日(日)丁酉(舊二月三日 晴

昨日、訂正した『中仙道を歩く(廿四)』(御嶽宿~鵜沼宿)の册子版ができあがり、みなさんにお送りしました。ほつとしました。

 

ところで、先日求めた和本なんですが、實は掘り出し物だつたのかも知れません。表題はないのですが、大型の和本で、内容は明らかに、高札場に掲げた「高札(かうさつ)」集であらうと思はれるんです。最後の頁には、「米沢奉行」とありますから、奉行所の控へかなとも思はれます。それなら餘計價値がありますよね!

それで、内容はといへば、日付が異なつた、「定」と「條々」と「覺」が七種竝べられてゐるだけのものなんです。

記されてゐる順番に、はじめからそのまま記してみます。まづは、定、條々、覺の別。つづいてその文章の冒頭の言葉です。「一(ひとつ)」とあるのは、つづいて「一」がいくつかつづつといふことです。ないのは、ひとつの内容だけといふことになります。ちなみに、「定」とは永年掲示、「覺」は一時的な掲示とされてゐます。「條々」はその中間でせうか? 

尚、西暦はぼくが付け加へました。

 

   一 忠孝をはけまし夫婦弟妹諸親類にむつましく・・・天和二年(一六八二年)五月

條々 一 毒藥并にせ藥種賣買の儀・・・天和二年五月

定  切支丹宗門の事・・・寛文四年(一六六四年)十二月

定  きりしたん宗門ハ・・・天和二年五月

覺  捨馬の儀・・・貞享五年(一六八八年)正月

覺  人賣買弥堅く禁止し・・・元禄十二年(一六九九年)三月

條々 一 喧嘩口論制禁・・・寛永九年(一六三二年)五月十一日

米沢 奉行  名 判

 

今日の寫眞は、右の太字の頁です。ぼくも久しぶりですが、『漢字くずし方辞典』(東京堂出版)の頁を繰つて、どうにか讀んでみました!

 

定 切支丹宗門の事累年 御制禁たりといへとも 弥以斷絶なく相改へし 自然不審なるもの有 らば申出へし  伴天連の訴人銀 三百枚  いるまんの訴人銀 二百枚 

 

覺 人賣買弥堅く禁止し 召仕し下人男女共に年 季十ヶ年を限といへとも (以下略)

 

今日の寫眞・・米沢藩「高札」集より。


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