四月十四日(火)庚申(舊二月廿六日 雨

 

今日も雨。寒い一日でした。あたたかくして「日記」のつづきを書きました。

 

記念館を出て、方向とすれば、江戸川に沿つて南に向つて歩くと、すぐ赤城山光明院に着きました。眞言宗のお寺ですが、赤城神社の別當寺であつたとあります。ここは、近藤勇たち新撰組一行二百餘人の一部が屯集したといふお寺でもあります。門を入ると、枝垂れ櫻の大木が、まだ花びらを多く殘したまま迎へてくれました。

本堂の手前には、一茶と双樹の連句碑といふ石碑がありました。

 

長月朔日

   豆引や 跡は月夜に任す也  双樹

   烟らぬ家も うそ寒くして  一茶

 

さう、「連句」といふのは、「連歌」の俳句版ことなんでせうね。要するに二人あるいは何人かが應答して詠む歌のやうです。

 そもそも、俳句に弱いぼくですので、お勉強のために、ちよいとカンニングをして、以下に、國語辭典から引用させていただきます。

「俳句とは、俳諧の句の略で、もと俳諧連歌の第一句(発句)が獨立してできたもの。元来は俳諧連歌の発句および連句の句をさしていつてゐたが、明治にはいつて正岡子規が発句のみを意味する語として使ふやうになつてから、一般化されるやうになつた。五七五の三句十七文字で完結する日本独特の短詩で、季を入れるならはしであるが、季語の撤廃や定型を破つた自由律の主張などもみられる。」

ぼくなんか、俳句といつたら芭蕉に蕪村に一茶でせう、と言つてしまひますが、正確に言へば、彼らの時代は俳諧であり、俳諧連歌なんですね。ですから、一句獨立した句を樂しむといふことよりは、あくまでも、さういふのをどんな仲間といふのかわかりませんが、集團行爲なんです。やりとりやかけあひを樂しむ文藝なんですね。題をまうけて作品を講評しあふのもよくわかります。

だから、川柳や最近の俳句のやうに、その一作品をとりあげて樂しむのは、むしろ傍流なのかも知れませんね。そんなことを思ひました。集團行動がにがてなぼくには、だから俳句は似合はないのかも知れませんのです。はい。(未完)

 

今日の寫眞・・光明院と一茶と双樹の連句碑。

 


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