五月五日(火)辛巳(舊三月十七日 晴、肌寒い

 

册子版『歴史紀行四十六 中仙道を歩く(廿六)』(加納宿~赤坂宿)、一日中脇目も振らずして仕上げることができました。やはり、氣になつてゐたところがいくつかあり、加筆したり訂正したり、寫眞も追加したりで、ワード版の方にはたいへん失禮ですが、册子版を完成としてゐるので、ご容赦いただきたいと思ひます。

 

今日の讀書・・もう、燒けのやんぱちではないですが、このところ、ぼくの精神生活、でない讀書生活においては、くづし字にどつぷりつかりきつてゐるのであります。

以前からの繼續としては、『落し咄』(寛政頃寫本・古典文庫)を寢る前に最低一話(全一九〇話)。これは、讀めても、わけ(面白さの意味)がわからないので辛いところがあります。

つづいて、お習字をはじめたので、『入木抄』もすこしづつ。

さらに、百人一首を、『古今和歌集』は大きすぎるので、そのかはり、解説もくづし字の、『小倉山庄色紙和歌(百人一首古注)』(新典社)。これがけつこう讀めるので、だいぶ自信がついてきたのです。

ところが、その上、『百人一首戯作集』(一七七五年刊・古典文庫)といふのを讀みはじめたら、これはまつたくのお色氣話なんです。好色ものですね。惜しむらくは、十八歌の「すみのえの」までしかないんです。ぜひ、そのあともどこかで探さなくてはなりません。いや、これもお勉強のためであります!

 

今日の寫眞・・文庫本をおもに、年代順に竝べてみたら面白いことに氣がつきました(左上から右下へ)。それは、その時代によつて、書かれてゐるものの數(質も?)に差異があるのです。一四〇〇年代と一五〇〇年代の作品が極端に少ないのです(寫眞左下)。ぼくが、そこだけ買ひ忘れたわけではありません。どうしてでせうか? 考へてみませう。

 

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