五月十(日)丙戌(舊三月廿二日 晴

 

今日、妻の甥夫婦が、息子のりよう君とともにやつてきました。突然でしたが、東京にきてからは、初めての我が家への訪問でした。いや、お父さんのみつる君によると、この家に来たのは三十數年ぶりだといふのです。さういへば、淸水や濱岡には何度も尋ねてくれましたが、ぼくたちが東京を離れてからは、堀切の家へは來ることもなかつたわけです。

けれども、みつる君には、この家での強烈な體驗があつたやうで、それが、大げさに言へば、彼の人生を方向付けたともいふのですから、たいしたものです。でも、その體驗といふか經驗は、ぼくが言ふのはちよいと氣が引ける内容なんですが、それは、鐵道模型についてなんです。

鐵道模型は、たぶん、父の趣味だつたんだらうと思ふのですが、いや、祖父が都電の運轉手でしたから、その影響もあつたのかも知れません。が、我が家には、Oゲージといふとても大きな、重量感のある鐵道模型がありました。EF58型電氣機關車をD型にしたやうな機關車は重たくて、子どものぼくには、本物よりリアリティを感じたかも知れないほどです。八畳間にレールを敷き、たまにしか走らせませんでしたが、もう胸はわくわく、その世界にどつぷりと漬かり、我を忘れて遊びに興じましたね。

ところが、それが、いつのまにか、その半分のゲージ、つまりハーフ・O(HO)ゲージ模型に押されて、だんだん出番が回らなくなりました。ちやうどその頃、中學生から高校生にさしかかつたぼくは、今でいふ鐵ちやんでして、一人で、御殿場線のD52が牽引する列車に乘りにいつたり、高崎機關區では、車臺を移動するC58型蒸氣機關車の運轉席に乘せてもらつたり、今では考へられないすばらしい體驗をすることができました。

そして、それとともに鐵道模型作りに没頭したのでありました。もちろん金属を加工して機關車を作るなんてことはできませんでしたので、客車とか、氣動車、電車などを紙を用ゐて作りました。

だいぶ話が遠回りになりましたが、父をはじめ、弟とともに、そのHOゲージを走らせて遊んでゐるところに幼いみつる君が來あはせて、眞劍なぼくたちの遊びやうを見て大刺激といふか、カルチャーショックを受けたと、かういふわけだつたのであります。

彼は、長じて、國鐵全線完乘の旅をなしとげ、それ以來こんにちまで、鐵道と鐵道模型を趣味としてゐるのださうで、それで、今日わざわざ訪ねてきたのは、三十數年前に見た、ぼくの作品をもう一度見たかつたからなのださうです。

いやあ、それほど大きな影響を與へた作品であつたかとおもふと、身に餘る光榮ですけれど、なんのなんの、りよう君までもが興味を持つてくれて、もうこれで、これらの車輌の行く先は決まりました。もう少し手元において、その後、彼ら父子に贈ることにしました。ですから、もう少しお待ちくださいませ。

 

今日の寫眞・・大井川鐵道千頭驛にて。一九八二年か、八三年頃、幼いみつるお父さんと。それと、現在も居間の書棚においてある、ぼくが作つた車輌の數々!

おまけは、ありし日の飯山線のC56蒸氣機関車と高崎機關區にて。

 



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