六月十七日(水)甲子(舊五月二日 曇天、一時雨

 

今日は、病院のはしごをしました。いづれも定例の通院ですが、まづ、朝食後すぐ近所の齒科醫院でクリーニングをしていただきました。つづいて、地下鐵を乘り繼いで慈恵大學病院行きました。一二時の豫約でしたが、一時間前には血液採取をするので、餘裕をもつて出かけました。すでにラッシュアワーが終はつてゐたのでほつとしました。

ところが、心臟外科の外來が、それほど混んでるとは見えなかつたんですけれど、延々と待たされ、診てもらつたのは一時四〇分でした。しかも、もう一科が二時の診察でしたので、晝食はすべてが濟んで病院を出てからいただきました。

兩科ともに順調とのお話だつたので安心しましたが、やはり、かういふときの氣分晴らしは神保町以外にはありません。幸ひ雨はすでにやんでゐたので、夕方まで何軒かはしごをして歸路につきました。

 

それでも、夜、『中仙道を歩く(廿七・後編)』をわづかながらも書き進むことができました。壬申の亂については、どうしても、『日本書紀』を讀む必要があるので、この際ですから、黑板勝美編『訓読 日本書紀 下卷』(岩波文庫)を繙きました。思ひ出しました。「不破」、「野上」、「和(わさみ)」(關ヶ原)などの地名が出てきました。わくわくしますね!

 

今日の寫眞・・何といふ寢相なのか、コヤタ君? 夕食のデザートのサクランボ。そして、今日求めた影印本二册とその内容。

 



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