六月卅日(火)丁丑(舊五月十五日 曇り

 

「今日は曇りですから、塀と松の剪定をしてしまひませう!」 といふ、妻のお言葉に從つて、ぼくはやはなからだを引きずつて、剪定ばさみやらを出し、午前中いつぱいかかつてそれでもどうにかやりとげました。母が入院してゐるあひだにしてしまはうといふ約束だつたのに、ぼくが、あれこれかまけて避けてゐたからですが、もう言ひ譯がきかなくなつてしまつたのです。

剪定ばさみを振り回してゐると、後ろから聲をかける方がゐるので振り向きました。すると若いご婦人ではありませんか。ぼくは、ドキッとして前を向いたら回覽板が目に入りました。さうだ、五人の男の子を育ててゐる裏のマンションの方だつたのです。それなのに、このおかあさん、オンナを捨ててゐません。いつもきれいにお化粧し、服装も明るく、颯爽と子どもたちを自轉車に、前に背中にうしろに乘せて走つてゐます。けれど、ぼくは、ハイヒールでの運轉だけははあぶないと思つてゐるのですが・・。

また、路地を町内会長さんがやつてきました。あいさつだけで、通り過ぎていきました。そこに、クロネコヤマトの宅急便が近づいて來たのです。狹い路地を來たかと思ふと、ぼくの目の前でとまり、荷物を差し出すのです。一昨日注文した『新版絵入 平家物語(延宝五年本)』(和泉書院)の揃ひです。間の惡いことに、妻がそばに來てしまひ、言ひ譯するのにひと苦勞でした。

塀の蔦の剪定が終り、松の木にかかつたころです。前の家から、先日六十五歳の母親を突然に亡くした奥さんが玄關から出てきたのであいさつ。子どもたちの樣子はどうですかと聲をかけました。ぼくたちが歸つてくる以前から住んでゐるご家族ですが、妻と同年の母親が亡くなられたことを、たぶん近所の方は誰も知らないのではないかと思ひます。

かといへば、その隣のご主人が出てきて、近頃お母さんを見かけないけれどお元氣ですかと言葉をかけてきました。まあ、適當に母のことは傳へましたけれど、二、三時間路地にゐただけで、ぼくは、人生の何たるかを思ひ知らせられた氣がいたしました。心もからだも疲れて午後は横になつて過ごしました。

 

それでも、丸谷才一さんの『笹まくら』(新潮文庫)を讀み出しました。これも、「徴兵忌避者」の物語です。新聞廣告の新刊本に目を奪はれさうになりますが、ぼくは、舊作といふか、古い作品にももつと目を向けなければならないと思ふこの頃なのであります。

 

今日の寫眞・・剪定前の塀の蔦と五葉松。

 


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