七月十二日(水)壬辰(舊五月卅日 晴

 

今日は、夕方、新橋驛のSL廣場で大塚さんと待ち合はせ、國會議事堂まで歩き、「戦争法案反対・強行採決反對 国会正門前大集会」に參加してきました。あとで分かつたことですが、法案が衆議院特別委員會で強行可決されてしまひました。まことに無念、悔しいのひと言ですが、その怒りは、參加された方々のプラカードによく現れてゐるので、じつくりと御覧くださいませ。

大塚さんとは、永田町驛まで歩き、半藏門線ホームでお別れしました。

 

今日の讀書・・昨夜、一氣に、髙尾善希著『歴史好きのための古文書入門』(柏書房)を讀み通してしまひました。なにしろ、今までの古文書の本とはひと味違つてゐましたね。

内容は、モンジョ先生と大学生のフミオ君との問答形式なんですが、目から鱗が二、三枚は落ちました。まあ、前半は古文書についての一般論でしたが、半ばの「古文書と史実」、「歴史ドラマと歴史学」、そして最も興味深かつたのは、「歴史小説と歴史学」のなかの、司馬遼太郎についての問答です。著者は、直接批判はしてゐませんが、他の人の言葉を引用するなどして、だいぶ本質的な司馬遼太郎批判を述べてゐるんです。それだけで、ぼくは拍手喝采でした。

それと、ぼくも言葉にはできないながらも抱いていた、素朴な疑問に答へてくれました。それは、今日のぼくたちからみて、とてもむづかしい「くづし字」ですが、それを、江戸時代の子どもたちは難なく使ひこなしてゐたことです。とても識字率が高かつたことはよく言はれることですね。何故なんでせう。

つまり、くづし字とは、普通の誰もが使へる文字であり、「手習塾などの短気教育過程向きの文字である」からなんです。楷書から見ればたしかに 「簡略化された字体」 であり、「その意味において、くづし字=高等な字・難しい字とは言えません」、とモンジョ先生は言はれます。

それと反對に、ぼくたちが普通に使つてゐる楷書は、江戸時代においては、實は、「実用に適さない趣味的な書体」であつたといふのです。びつくりです。例へば、お上への「願書」などに楷書を使へば、非實用的な書體を使ふとはなにごとだ、と言つてつつかへされたといふのですから驚きです。ぼくは、何か、思考の變換を迫られた感じです。

また、くずし字は、文字が大きさがまちまちです。それは、原稿用紙の枡目に書かれた楷書とはまつたく異なり、理解するにも、一字一字ではなく、はじめに意味の連なりありきで、文章の流れの中から一文字づづを讀んでいくことがくづし字の讀み方である、とぼくは學ぶことができました。

だから、文脈の流れから獨立した固有名詞が最も判別しにくいといふことも知りました。そのためには、用例の多い字典をよく讀んで學び、馴れるのが王道であるのですね。でも、ぼくは、どちらかといふと、古典文庫の、いま讀みつづけてゐる『和歌威德物語』とか、『好色旅日記』とか、『好色一代男』とか、『好色五人女』などで讀解力をつけたいと思つてゐます。

 

今日の寫眞・・國會議事堂前で行はれた、「戦争法案反対・強行採決反對 国会正門前大集会」の樣子。キリスト教も佛教も、そして佐高信さんも參加されてゐましたね! ただ、ぼくも大塚さんもつい笑つてしまひました! まことに不謹慎。申し譯ありませんでした。

 



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