七月廿九日(水)丙午(舊六月十四日) うす曇りだが蒸し暑い

 

紀行のための寫眞の整理と選別をはじめました。それとともに、近江商人のことと、法然の弟子で斬首された住蓮のことを調べました。とくに、法然や住蓮らへの迫害については、古記録にも記載されてゐて、慈圓の『愚管抄』や兼實の『玉葉』、それに、その九條兼實・良經二代の家司を務めた、藤原長兼の日記である 『三長記』 に、その記載部分を探しあてました。

《建永元年(一二〇六年) 十四日乙丑 ・・件法々安樂兩人源空(法然)上人一弟子也、安樂房者勸進諸人、法々房者立一念往生義、仍可被配流此兩人之由、山階寺(興福寺)衆徒重訴申之、仍及此沙汰歟、於其操行者、縱雖爲不善、所勸所執只念佛往生之義也、依此事被行罪科、可痛哭々々々、當此時奉行此事、先世罪業之令然歟》(『三長記』) 

そもそも、「一念往生義」(専修念仏)は、法然以前にも見られ、以前讀んだ、『日本往生極樂記』(九八六年頃成立)にも、「一生之間、阿彌陀經を讀誦し、兼ねて佛號を唱へた」、沙門藥蓮のやうな念佛者がゐました(『群書類從 第五輯』所収)。

問題は、法然とその弟子達が、どうして興福寺と比叡山から迫害されるやうになつたかですね。

 

夕方、弓道の先輩といふか、飲み仲間の三人そろつて、立石のもつ焼き「三平」といふ店に行きました。ぼくは、生ビール一杯で精一杯、あとはもつ焼きを食べまくりました。刺身からはじまり、レバーに、ハツに、タンに、ミノに、シロに、コブクロに、ツクネにチヂミで締めました。小さい店なのに、若いのから年寄りまで滿員で、煙がもうもうと、でもないか? とても居心地のいいお店でした。

それにしても話す内容は弓術のことばかり。ご同輩、どんなに飲んでもみな眞面目なのであります。

 

今日の寫眞・・斎藤美奈子さんの「本音のコラム」。それと、立石の「三平」にて。

 


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