八月六日(木)甲寅(舊六月廿二日 晴、暑い

 

廣島原爆記念日。

夜、NHKの放送大學で、『新しい時代の技術者倫理』の講義が行はれてゐました。途中からでしたが、「技術者倫理の定義」の内容(今日の寫眞參照)を見たとき、ぼくは、技術といふものは、技術者がいくら世のため人のためを思つて開發した技術であつても、例へば戰爭がはじまれば、それらが惡用され、どんなに人類に害をおよぼすものになるか、その負の面を大いに危惧をしてゐたので、「技術者は、これは我が妻や子どもたちに害をもたらすものにならないかどうかを常に考へてゐなければならない。」といふ、一人の技術者の意見には共感がもてました。

しかし、原子力は、どうでせう。ぼくは、人類に貢獻するどころか、はじめから倫理的にみて人類に必要ないものだつたと思ひます。七十年前の今日廣島に落とされ、十四萬人の命を奪つた原子力爆彈が語つてゐるやうに、そもそもが、人類を殺戮する道具として開發されたものだつたからです。

安倍首相は、今朝の廣島の式典の演説で、昨年まで語られてきた「非核三原則」について、たうとう言及しませんでしたし、昨日の參議院平和安全法制特別委員会では、「安全保障関連法案に盛り込まれた他国軍への後方支援を巡って、中谷元防衛相は、自衛隊による核ミサイルの輸送を『法文上は可能だ』と明言し、毒ガス兵器の輸送もできるとの見解を示した。」のでした。そのやうな、曖昧かつ物騒な法案がまかり通らうとしてゐるのです。

技術者はもちろん、今日最も必要なのは、國會議員の倫理觀ではないでせうか。いやあ、なさけないです。

 

今日はまた、一月ぶりの「書道講座」ならぬ、習字講座でした。五回目の課題は、「ひまわり」でした。さう、平假名の、しかも行書の文字です。書いてゐて情け無いくらゐ滿足に書けませんでした。

 

今日の寫眞・・廊下の掲示版にはられた、前回の作品。そして、今日のまあまあ書けた作品一枚と、敎室の樣子。

 



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