二〇一五年九月(長月)廿一日(月)庚子(舊八月九日・上弦 晴

 

疲れが抜けてはゐませんでしたが、晝から弓道場へ行きました。いつもの顔なじみ、六名の方とご一緒に勵みました。やはり、握を太くしてよかつたと思ひました。

 

九月十七日、「中仙道を歩く(三十)」の二日目の日記を書きました。四頁に渡つてしまひました。もう、これだけで、「紀行」として出來上つてしまふといつてもよいかも知れません。一日目も、三日目も、ほぼ完成度としては滿足です。あとは、寫眞を入れ、事柄によつては「註」を充實させたいと思ひます。

たとへば、山科あたりで出てくる「車石」なるものについて、荷車を使用することは江戸時代許されてゐなかつたはづですが、どうしてここでは、許されたのか。そして何故江戸幕府は荷車を使用させなかつたのか、調べてみたいと思ひました。

斎藤俊彦著『轍の文化史』(ダイヤモンド社)をひもといてみましたが、明治以後の人力車と自動車については詳しさうですが、江戸時代までさかのぼつてはゐません。何を調べたらいいか、かういふとき、獨學はつらいのです!

 

今日の寫眞・・今日の寅ちやんと、三兄妹のお父さん!

 


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