九月廿九日(火)戊申(舊八月十七日 晴のち曇り

 

今日は妻が行きたいといふので、一緒に東京驛を訪ねました。ただ出かけたのではありません。雑誌で見たので行つてみようといふことになつたんです。

まづ、東京驛の五番線と六番線ホームに降り立ちました。そこに、明治四十一年に起工、大正三年に完成した、東京驛開業當時のホームの支柱が殘つてゐるといふのです。しかも、ここにだけといふ實に貴重な支柱なんです。さすが形は當時のまま、色をつけて他の支柱と區別されてゐます。今まで氣がつきもしませんでした。

つづいて、一番線ホームに上りました。そこは中央線の高架ホームとなつてゐますが、その一番線ホームの線路の向かふに、線路の起點である「ゼロキロポスト」が立つてゐました。はじめ、髙尾行の電車が停車してゐて分からなかつたんですが、發車したあと見つけることができました。これは中央線のですが、東海道線のもどこかにあるはづですね。

 

さらに、妻は、もとの東京中央郵便局で、今はJPタワー・KITTEと名を變へたビルにつれていつてくれました。そこはぼくはもちろん妻もはじめてで、面白さうな博物館があるといふのです。しかも入場無料です。JPタワー・KITTEの二、三階がさうでした。

インターメディアテクといふ、雑誌によると、「アート&サイエンスが織りなす、まったく新しいミュージアム」なんです。展示物は、すべて東京大學所藏の學術資料であるといふことなんですが、ぼくが思ふに、いはば所有者の死後寄贈された個人のコレクションなんではないでせうか。それらを、大學としては持てあましてしまひ、見てもらへるのならばと提供したのだとぼくは推察いたしましたです。はい。だから有料にはできなかつたのだと思ひます。

 

さて、どんな物が展示されてゐたのか、いやあ、面白すぎるのひと言です。ただ、寫眞撮影が嚴しく禁止されてゐたので、言葉でお傳へするしかありません。

氣がついためぼしい物だけを、ほぼ見て歩いた順にあげてみます。まづ、譯の分からない電氣工学器具。東京大學安田講堂大時計の針(一九二五年製)。生野鑛山の銀鑛石の標本。未開部族の土偶類。發掘された骨のコレクション。巨人症の手のひらのX寫眞。ホウライショウとゴボウとミズバショウとアキタブキの巨大な標本。人體解剖模型(男女別)。シーボルト先生使用ノ皿(由緒書つき)。幕末醫家三宅一族コレクション(外科道具セット、注射器セット、檢眼レンズ等)。古色蒼然とした映寫機の數々。原始的齒車模型コレクション。天秤コレクション。明治期の定規セット。原爆被害調査の際収集された浦上天主堂の獅子頭。貝と昆蟲標本(フランス製甲蟲標本コレクションは必見!)。魚類の骨格標本(骨になつても泳いでゐるかのやうなその姿には感動か悪寒か? 猫もここまできれいには食べられまいといふ整つた形です)。動物の骨格標本と剥製標本。一九二二年當時、最古の人類化石として發見された、ラミダス猿人の頭蓋骨。ホルス像。エジプト神官のミイラ(BC九〇〇~六〇〇)。再現された、階段教室の實物(東大のものなのか、どうかは分からない。これには説明なし)。ハスやヤシやタコノキなどの種の數々。それに膨大な數の動物の剥製。まだまだ、數限りなくつづきますが、これらのモノが、何の脈絡もなく竝べられ展示されてゐるのであります。

 

しかし、集めた當の個人にとつては、珍しくも貴重なコレクションであつたのでありませう。たしかに、バラバラにしてしまふのはもつたいないと、ぼくは思ひます。むしろ、これらのモノは、ぼくら、ノホホンと生きてゐる者への挑戰なんだと思ひます。ぼくは、これらを眺めながら、見る者の知性度が問はれるな、と思ひました。

ひと言つけ加へますが、展示物には、小さい名前と説明の張り紙があるだけで(まつたくないもののはうが多いかも知れません)、展示物の一覽表とか、それらの解説は、他にはないのでありまして、誰がどこでどんな目的で採取したのかはほとんど不明です。それだけに、想像がかきたてられて樂しむことができる、そんな珍しくも貴重な博物館を堪能してきました。

これにくらべたら、他の博物館は、説明のし過ぎではないでせうか。このままですと、「はいさうですか」と言はれて、それで背を向けられてしまひますよ!

 

今日の寫眞・・東京驛のホーム、最古の支柱と中央線の「ゼロキロポスト」。それに、雑誌に載つてゐる「インターメディアテク」の記事。

 




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