二〇一五年十月(神無月)一日(木)庚戌(舊八月十九日 曇りのち雨

 

一月ぶりの書道教室です。どのやうな文字を書くのか期待と不安の氣持ちを抱きながら出席しました。それが、なんと、「富士山」だつたのです。三文字です。

はじめに、「富」の中の「田」の「十」の書き順について紛糾しました。横が先が十人、縱が先が四人。さあ、どちらが正しいでせうかとなつて、多數決ですから、先だつての國會の審議の議決に從つて言へば、壓倒的に横が先に決まつたやうなもんです。憲法の正しさより、その時の議決が優先したのですから、これを先例とすれば、誰にも文句は言はせません。横が先に決まりました。

ところが、先生は、縱が先だと言ひました。縱が正解だといふのです。とすると、いくら多數決でも通用しない事柄があるといふことです。つまり、書道の世界では、その場の多數決よりも、傳統的に書きつがれてきたことが正しいのですね。

何故か。行書體に移つたときにその理由が分かりました。縱に引いた線を左上にはじくやにして持ち上げ、そのまま、數字の2の字を書くやうにつづけると、きれいに「田」の形がおさまるのであります。

でありますから、いくら今現在において書きやすいから、やりやすいから、必要だからといつて變へてはならないことがあるといふことなんです。此の世には。これはとてつもなく大切な事です。必要に迫られて變へてゐたら、たちまちに秩序は亂れてきます。傳統に對する畏敬や尊敬の氣持ちが薄れてきます。それを、國家の最高の議決場所で犯してしまつたのですから、これこそパンドラの箱をひつくり返したも同然ではないでせうか。

ぼくは、國會議員のお喋りより、書道の先生のお言葉のはうが重く心に響きました。

ところで、やはり、楷書より行書のはうがぼくには適してゐるやうで、楷書ではぎこちなかつたのが、行書では、一枚目から自由に、氣持ちよく、それでもつて、先生も、「いいね!」つて言つてくれたやうな文字が書けたんです。万歳!

 

午後七時過ぎ、妹のみゆきからメールが入り、彩ちやんが元氣な女の子を出産したとの連絡がありました。こちらも、あつぱれ、万歳です!

 

今日の寫眞・・朝刊の切り抜きと今日のノラちやんたちの夕食。それに、書道教室の作品。前回の分の掲示と、今回のハナマル作品。

 



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