十月廿九日(木)戊寅(舊九月十七 晴たり曇つたり

 

今日は寢轉んで、半村良著『講談 大久保長安』を讀み進みました。實に面白くて當時の歴史にたいする視野が廣がります。まづ氣に入つたのが、著者の歴史觀ですね。司馬何とかさんは、屋上から下の景色を眺めるやうにして歴史を描くとか何とか言つてゐますが、良さんは違ひます。ぼくが、中仙道を歩いて抱き得た歴史觀と同樣、歴史を同じ地續きとみてゐることは確實です。でなければ、次のやうな風には書けないでせう。

「太閤(秀吉)は刀狩りばかりか、そのあとで農民に対し旅行や移住も禁止してしまいます。この身分の固定化によって、人々はそのあと長く逼塞状態に陥るのです。太閤が見せた豪気さの裏側に、人民に対するこのようなきつい仕打ちがあったことをお忘れなく。

まして製鉄者たちは、ひどい時代を迎えたわけでした。大久保長安が必死で彼らを庇おうとしたことが、おわかり頂けたでしょうか。

朝鮮出兵を唐入りと称しましたが、これには資本家たちの支持と、大名たちの領土拡大欲がからんでいたことが、近年明らかにされてきております。これなどは、ベトナム戦争がヘリコプター・メーカーとからんでいたことが明らかにされはじめたことと、よく似ておりますな。

とにかく、相手に悲慘な状態をもたらしたばかりではなく、織豊政権自体にも破綻をもたらしてしまいました。」

どうです。かういふ書き方は随所に見られます。こんどの安保法制だつて、アメリカのご機嫌を伺ひうかがひ、死の商人たる軍需産業と結託して大儲けするためだけの、國民の利益や安全につながることのない獨裁政治です。いづれ破綻させなければなりません。

 

さう、改めて、『北國街道を往く(二)』(加賀街道編)を書きはじめました。すでに親不知のところまで進みました。今日の寫眞の參考書が大變役立つてゐます。

 

今日の寫眞・・野良猫寅のために新しい寢床を用意してあげました。うれしさうでした。それと、今日用ゐた參考書。

 


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