十一月三日(火)癸未(舊九月廿二日・下弦 晴

 

朝食後、母がまた「植木屋さんをたのもうよ」と言ひ出したので、はい、と應へてブロック塀の蔦を剪定いたしました。まあ、言はれてからやるのも怠慢なんですが、母の氣に入るやうにやつてれば、當面はいいと思つてゐます。

『北國街道を往く(二)』のパワポ版の作成も繼續しました。だいぶ訂正やら加筆をしましたが、すべてワード版のはうも同じやうに出來なくて、ちよいと齒痒いです。

 

また、先日送つていただいた、羽中田誠著『昭和二十年八月』を讀みはじめました。新聞記者であつたご本人の回想といふか、日記のやうな文體で、引き込まれてしまひました。

當時の状況については、山田風太郎の「戦中派日記」をだいぶ前に讀んでゐたので、同じやうな感じを受けましたが、やはり新聞記者ならではの視點が興味深いです。

ちなみに、山田風太郎の日記を列擧しておきます。必讀書です。

『戦中派虫けら日記 -昭和十七年十九年』

『戦中派不戦日記 -昭和二十年』

『戦中派焼け跡日記 -昭和二十一年』

『戦中派闇市日記 -昭和二十二年二十三年』

『戦中派動乱日記 -昭和二十四年二十五年』

『戦中派復興日記 -昭和二十六年二十七年』

 

今日の寫眞・・羽中田誠著『昭和二十年八月』に再び登場願ひました。それと、山田風太郎の「戦中派日記」。

切り抜きの現実を讀んで、ぼくは、どつちの肩を持つか、どちかしかないと思ふのです。中立とか、無關心とかいふ立場はあるやうで決してあり得ませんし、それは結局横暴な權力に力を貸すことにしかならないとさう思ふのであります。歴史は地續きでありまして、この現實は、歴史をあんたはどう學んできたのだと問はれてゐることなんです。熱いものが込み上げてきますね!

 


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