十一月四日(水)甲申(舊九月廿三日 晴

 

今日は、『北國街道を往く(二)』(加賀街道編)のパワポ版を仕上げました。いつもの樣に、だいぶ訂正やら加筆をしましたが、ワード版のはうも同じやうに變更し、どうしても加筆できないところもありましたが、兩方、ほぼ問題なく仕上げられたと思ひます。それで、ワード版とパワポ版それぞれの方に送ることができました。

ワード版(A4)で十九ページ、パワポ版(B5袋とじ)では二十七枚(五十四ページ)にもなつてしまひました。まあ、原文主義ですから、「註」の中の、芭蕉さんの『奥の細道』はいいにしても、加賀藩『参勤交代道中記』の史料や、『義經記』や『源平盛衰記』の本文なんかは、きつとほとんどの方が無視するんでせうね。でも、これは、ぼく自身の挑戰であり、日本とその歴史と文化への愛情、といふか抱きしめて味はいたい、その思ひの現れですから、いくら寫すのが大變でも、はしよるわけにはいきません。すみませんが。

 

以下、史策會の森さんにいただいたご本へのお禮とともに、その感想を記したメールの全文です。

 

森さん、こんばんは。

いただいたご本、『昭和二十年八月』、昨夜から讀みはじめました。「北國街道2」が仕上がつたので、ページを開いたんですが、昨夜は一氣に、半分ほど讀んでしまひました。

まあ、讀み終はるまでいきませんでしたけれど、鳥肌が立つやら、心が熱くなつて、しばらく寢つかれませんでした。

戰爭といふものが、いかに人々の暮らしを破壞し、多くの苦しみや悲しみをもたらしてしまふものか、取り返せない命や過去に、人々の心をつなぎとめ、未來に對する希望を閉ざさせてしまふことか、心からよく分かりました。

森さんが薦めてくれた氣持ちがわかります。

それで、ですよね、人々、つまりぼくたちの暮らしや命に對する理解や共感、はたまた想像力を缺いた政治状況をぼくたちはどうしたらいいんでせう? そんなことを考へさせられました。まだ半分殘つてゐますが、とりあへずご報告をいたします。

それで、内田さんにはどうご返事をさしあげたらいいですかね。讀み終へてから考へます。とにかく、今、多くの方に讀んでもらいたい本ですね。

まあ、昨日は、山田風太郎を持ちだしてしまひましたが、いや、まつたく別のやうで、深くつながつてゐるとぼくは思ひます。なにしろ、原子爆弾にまつはる、「恐怖の閃光」と「治療法のない凶器」のところでは、涙が出ましたよ!

庶民への共感がなく、その生活が守れない樣な政治家を選んではならないと、改めて決心いたしました。そのためにも、ぼくは毎日、新聞を確認し、切り抜きを日記に載せることで、氣持ちが萎えないやうにしていきたいと思つてゐます!

とりとめもなく、失禮いたしました。とりあへず、ご報告まで。おやすみなさい。ひげ

 

今日の寫眞・・奇しくも、今日の朝刊の第一面は、原子爆弾投下に關しての記事でした。

 

コメント: 0