十一月十八日(水)戊戌(舊十月七日 曇りのち雨

 

「北國街道(三)」の二日目を書き進めました。初つぱなから芭蕉さんにご登場願ひましたが、もう何度も出てもらつてゐますし、これからもお世話になりますが、つづいて現れた「安壽と厨子王」の供養塔には驚きました。物語については多少は知つてゐましたが、なぜ直江津に供養塔があるのか理解出來ませんでした。が、説明を讀んだりして一應納得がいきました。

でも、この際ですから、森鴎外の『山椒大夫』を讀んでみようかと思ひました。ところが、關連本が書庫から數冊見つかつたので、調べはじめたら、さあ大變。森鴎外の作品が、實はもとの「説經」の『さんせう太夫』とは本質的に違ふといふのです。どう違ふのか、なぜ鴎外は違ふものを書いたのかなどを知りたいと思ふのですが、そのためにはだいぶ時間が取られさうです。

まづ、岩崎武夫著『さんせう太夫考 中世の説経語り』(平凡社選書)の、「説経序説」と第一章「さんせう太夫」の構造を讀みはじめました。それが面白いといふより、目から鱗がいくつも落ちていきます。ぼくにとつてはまつたく未知の世界ですね。説經は、「民衆的な世界の豊かさと多様性、常に未来的なものを失わぬエネルギー」に滿ちた、「民衆といふものを知るためのこの上ないテキストである」といふのであります。

ですから、豫定としては、新潮日本古典集成の『説経集』の中から、「さんせう太夫」を直に讀み、そして最後に森鴎外を讀んでみようかと思ひます。

『説経集』には、「かるかや」、「さんせう太夫」、「しんとく丸」、「をぐり」、「あいごの若」、「まつら長者」の六編が載つてゐますが、その本の帶には、「数奇な運命にあやつられて流転する人間の苦しみを、心の琴線にふれる名文句に乗せて語り聞かせた大衆芸能」とあります。わくわくしますね。

まさか、ここで調べることになるとは思つてもみませんでしたが、中世の語り物の「説経」にはずいぶん前から關心があつて、それで岩崎武夫さんの本も手に入れておいたのであります。いい機會ですので、あれこれ讀み囓つてばかりゐるやうですが、取り組んでみたいと思ひます。

 

今日の讀書・・片桐洋一著『日本の作家7 恋に生き歌に生き 伊勢』(新典社)は三章までで横に置き、岩崎武夫著『さんせう太夫考 中世の説経語り』(平凡社選書)を讀みはじめました。

 

今日の寫眞・・『さんせう太夫』關係本。

 

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