十一月廿八日(土)戊申(舊十月十七日 晴

 

今日で三日目。八名のみなさんに、ワード版『歴史紀行』の五十一から五十七までをお送りし、これで、「中仙道を歩く」がはじまつてからの四十八册のすべてを送つたことになります。本當は、パワポ版をお送りしたかつたんですけれど、なにせみなさんその機能をお持ちでないので仕方ありません。それでも一、二名はをられたやうですが、今回はみなさんと足竝みをそろへていただき、まとめてお送りしました。

 

そんなことで午前中を使つたので、その後すぐ家を出て神保町の東京古書會館に向かひました。風邪氣味なんですが、このまま横になり續けてゐたらまづいので出かけました。そのおかげで、『山海里』といふ和本を掘り出しました。佛教説話のやうで、筆文字も讀みやすいので購入したんですが、歸宅して調べたら、ご大層な本であることが分かりました。

ぼくが求めたのは、『山海里 初編三卷凡四十三條』といふ、説話の惣計一千五百條のほんの初めの部分でした。書いたのは、眞宗佛光寺派の學頭で、京都の佛光寺塔頭の大行寺開基の信暁といふお坊さんです。「大行寺は、文政四年(一八二一年)に創建され、嘉永六年(一八五三年)に現在地に移寺。開祖信暁学頭は、佛光寺版教行信証、御勧章の開版に尽力され、著書も多く特に『山海里』(三十六巻)は有名。ご本尊は鎌倉時代初期の代表的な仏師、快慶晩年の作で、国の重要文化財。」といふことです。

だから、それほど古い本ではありませんでした。ちなみに、『山海里』はお説教のネタ本だつたらしくて、多くのお坊さんに讀まれたといふことです。ぼくも參考にしようかしら?

 

今日の寫眞・・『山海里 初編三册』(大行寺藏版)と、他に求めたツワイク著・高橋禎二譯『自由と獨裁』(アテネ文庫)と矢内原伊作著『話ながら考える』(みすず書房)です。

ツワイク(シュテファン・ツヴァイク)の『自由と獨裁』は、Castellio gegen Calvin. Ein Gewissen gegen den Gewalt 1936 (日本語譯の著作集では『権力とたたかう良心』) の冒頭二章の飜譯ださうです。「狂信的な獨善心」をもつてカステリオを虐殺したカルヴィンの宗教的獨裁に對する論考であります。ナチス擡頭の當時においてはたいへんよく讀まれたさうです。

これに關する最も適切な啓蒙書は、渡辺一夫さんの『ヒューマニズム考 人間であること』(講談社現代新書)と、『人間模索』(講談社学術文庫)と『僕の手帖』(同)でせう。これらにしつかりと學ぶことによつて、ぼくはぼくなりに社會や政治や宗教や人間を見る目が養はれてきたといつていいと思ひます。

つまり、このような、現實社會の中で人間が生きることについて真摯に考へさせられる本を讀んだかどうかが、ぼくは現在の政治をどう見るかの判斷の違ひを生み出してゐるのだと思ひます。我田引水のやうですが、アベ政治が惡いといつても通じない人が多いんですね。ものを考へる素養がないとしか言ひやうがありません。かといつて、そのはじめから語るのもしんどいことです。遅くはないから、渡辺さんのこの三册、いやどれか一册でも讀んでほしいと思ひます。

矢内原伊作さんの 『話ながら考える』 だつてその手の本ですよ。『歩きながら考える』 と『たちどまって考える』 につづく三册めだと言ひますから、これらも手に入れたいですね。でもあるかしら。

 



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