十二月八日(火)戊午(舊十月廿七日 曇天のち晴

 

朝食後の藥をもつて、慈惠靑戸病院からいただいた咳と痰の薬を飲むのをやめました。どうも、効き目がはつきりしないだけでなく、なんだかますます力が出なくなつてきたからです。副作用かも知れません。

案の定、夕方には、しやきつとしてきたので、「北國街道を往く(三)」のつづきを書き出しました。

 

今日の讀書・・昨夜、半村良著『講談 大久保長安(下)』(光文社文庫)讀了。長安が死ぬところまでで終はつてゐます。その後の長安とその家族や關係者への酷たらしい顛末は、長安ファンの良さんには書けなかつたのでせう。或いはすべて書き盡くしたからでせうか。

それが未遂といふか、發覺しないまま終はつたとはいへ、長安さんが大膽な計畫を秘したまま死んでしまつたことは、實に惜しいとぼくも思ひます。もし長安さんがもう少し長く生きてゐたら、その計畫が實行されてゐたら、その後の歴史が、まつたく違つてゐただらうと思ふと愉快です。歴史にモシもタラもないと言はれますが、想像することは樂しいです。

つづいて、相馬御風さんの『一茶と良寬と芭蕉』(角川文庫)を手に取りました。奇しくも、今回の「北國街道を往く(三)」に登場する三人についての隨筆です。その、一茶の部分を讀みましたが、『おらが春』を讀んで感じたことを、明確に述べてくださつてゐるので、とてもありがたく、かつ嬉しかつたです。一九九九年九月に讀んでゐるのに、まつたく新鮮な心持ちで讀むことができました。

 

今日の寫眞・・小林一茶『父の終焉日記』と、相馬御風『一茶と良寬と芭蕉』(ともに角川文庫)。さつそく、「北國街道を往く(三)」で引用させていただきました。

 

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