十二月十六日(水)丙寅(舊十一月六日 晴

 

北國街道を往く(三・後篇)』執筆に專念いたしました。けれども進行状態は遲々たるもので、まだ直江津を離れられないでゐます。芭蕉さんのこととともに、安壽と厨子王の『さんせう太夫』の事柄を鮮明にしようと、ちよいと力を注ぎこんでしまつたからであります。森鴎外を批判しようとは思ひませんが、その『山椒大夫』と、説經の『さんせう太夫』とをくらべるとなると、どうしても、鴎外の不備といふか缺點が見えてきてしまひます。が、それらをうまくまとめるのが苦勞。難しいところです。 

 

ところで、昨日『歴史紀行』を送るのをやめた十人のうち、一人の方から、繼續して送つてほしいとの依賴があり、落ち込んでゐた氣持ちも、だいぶ和らぎました。 

まあ、勝手に、一方的に送りつけるといふことの問題を考へさせられる出來事でした。 

 

今日の寫眞・・新參者のオトちやん。まだおどおどしてゐます。それと、名無しの白黒。とてもお調子者で、モモちやんとも仲よくできてゐます。でも、妻によると、名前をつけたら責任をもつて見ていくことにしてゐるので、そう安易には付けないのださうです。

 


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