十二月廿六日(土)丙子(舊十一月十六日 晴

 

今日も一日、『歴史紀行五十八 北國街道を往く(三・後篇)』を書きつづけました。どうやら本文は書き終へました。けれども、「註」が長文となり、本文と同じ枚數になつてしまひました。 

といふことは、心に響くことが多かつたといふことですけれども、それがあちこち、訪ねるたびに現れては出くはすものですから、たまつたものではありません。その結果、まとまりのない羅列に終はつてしまつたのではないかと危惧してをるのでありますが、まあ、これこそ紀行文の宿命でもありませう。さう思つて慰めたいと思ひます。 

 

今日の讀書・・『落し咄 寛政頃写本』(古典文庫)讀了。といつても、十か月もかかつて、やつと讀み終へたといつたところです。はじめのうちは、獨特な筆遣ひの變體假名が讀めなくてだいぶ苦勞し、そして時間もかかりましたが、なかばすぎにはすらすらと、難しい漢字以外は讀めるやうになつたのですが、問題は内容の理解です。いくら讀めても、落語の源流となつた「落し咄」ですから、「落ち」が分からなければ讀んだことにはなりません。が、一九〇の小咄のほとんどが理解不能でした。ぼくの頭が固いのか、すでに理解を成り立たせる共通の教養が無いのか、或いはずれてしまつてゐるのでせう。悔しいですけれど仕方ありません。 

面白かつたのを、一つだけ引用します。 

「三味線・・・三味せんを買ふた 見て下されと ともたちに見せれは コレハよいしやミた どうハなんた 桐た さほハなんた 竿ハしたんさ ムゝ そんなら きりしたんやといひつゝ彈てミれは バテレンバテレン 」 

以上、お粗末さまでした。 

 

今日の寫眞・・『落し咄 寛政頃写本』(古典文庫)。

 

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