正月三日(日)甲申(舊十一月廿四日 晴

 

今日はつづけて、小松英雄著 『古典和歌解読 和歌表現はどのように深化したか』(笠間書院)を讀みつづけました。いささか興奮氣味です。 

實は、昨年の暮れから『古今和歌集』を讀みはじめてゐましたが、正直なところ、どうしたら面白く讀めるだらうかと心の隅で考へあぐんでゐたんです。そんな時、「北國街道を往く(三)」の最後のところで、良寬さんのことに觸れようと、古書展で、佐々木隆著『コレクション日本歌人選015 良寬』(笠間書院) が目にとまつたので購入しました。それが十二月廿五日でした。そして、いつものやうに卷末の〈読書案内〉を見てゐたら、小松英雄さんの本が四冊竝んでゐたんですが、そしてそのコメントに惹かれたのでした。 

「小松英雄氏の本はいわゆる古典文法を憶えなくても、ゆっくり著者の理論にしたがって読めるもので、古典文学や和歌の面白さを味わうことができる。筆者は多くを学ぶとともに大いに驚かされ、目からウロコが何度も落ちた。」 

どうです。『古今和歌集入門』などを書いてゐる方がかうおつしゃつてゐるんですから、ぼくが惹かれて當然でせう。それですぐネットで注文してすぐ屆いたのが 『丁寧に読む古典』 と 『古典和歌解読 和歌表現はどのように深化したか』 だつたのです。つづいて、『仮名文の構文原理』 と 『日本語書記史原論』 と 『みそひと文字の抒情詩』 と 『古典再入門』 も手に入れて讀みたいと思つてをります。 

『みそひと文字の抒情詩』の宣傳文句をみると、かうあります。「〈古注〉とよばれ、伝統的国文学で尊重されている平安末期以来の歌学者たちによる注釈が、厳密な批判に耐えない思いつきにすぎないことを指摘し、それに代わるべき客観的な表現解析の方法を提唱したためか、現在までのところ、古典文学の專門研究者の多くに、拒否されたり、無視されつづけたりする状態が続いていますが、古注尊重の伝統に汚染されない世代に、時間をかけて浸透していくはずだとひそかに期待しています。」 

期待していただきませう。「古注尊重の伝統に汚染され」てゐないぼくですから、がんばつて勉強いたします。はい。

 

學んで納得したことの一つを述べてみます。『古今和歌集』の〈春歌上・9〉の歌です。 

 

「 霞たち このめもはるの 雪ふれば 花なきさとも はなぞちりける 」 

 

手持ちの旺文社文庫版『現代語訳対照 古今和歌集』ですと、「霞が立ち、木の芽もふくらむ春の季節の雪が降ると、まだ花が咲かない里にも、花が散っているように見える。」となつてゐます。まあ、これなどは、岩波文庫版のよりずつと分かりやすい対訳です。 

よく分かります。「はる」が「木の芽が張る(ふくらむ)」と「春の雪」の二重の意味を表してゐるわけですね。 

ところが、小松先生は、それに加へて、「め」は「芽」とともに、「目」をも意味し、「めもはる」も、「目も遙(はる)」、目をみはる、見渡すかぎり一面に、が含蓄されてゐると言はれます。これによつて、木の芽がふくらみはじめた春の季節に、「時ならぬ春の雪が降り、そのために花なき里の辺り一面が・・・見渡すかぎり、花びらが散り敷いたような雪景色が展開され」る、とおつしゃられるのであります。このやうに、重層的に重なつてゐる、しかも隠された言葉の意味を一つ一つ説き明かすことによつて、平面的な理解が、立體的に、この場合には、雪景色がありありと目に浮かぶやうに心に感動を與へてくれるのでありますね。 

 

《愛ちやんのベルリン便り》 

ベルリンで迎えた久し振りの(35年振り)新年でしたが、大晦日は早くに寝てしまいました。ソフィーの娘(奈弓四歳)が泊まりに来て、彼女と一緒に寝てしまいました。マルギットもです。ソフィー夫婦は友達と一緒にパーティー、優子と友だちは、元旦の三時頃まで起きていたようです。 

ところで、つくづく日本の大晦日は良いナーと思いました。こちらは、花火爆竹ロケットで危ない事、喧しい事、酔っ払いの多いこと町が汚くなる事、この年齢になると、ただただ、静かな、しみじみとした除夜の鐘の日本が恋しくなります。教会の新年礼拝(元旦の一一時)が、少し慰めてくれましたね。少ない出席者でしたが、何だか清澄でホットさせられました。説教の内容も良かったです。淳ちゃんの『ひげ説法』を聞いているようでした。 

 

いやあ、元日に書いた原稿(『ひげ説法(六)』)を、寂しさを紛らはしてもらはうと送つてあげたものですから、でも、ほめられたやうでうれしいです。はい。それにしても、大晦日の騒がしさは、ベルリンが都會だからで、ドイツだつて田舎では靜かだつたでせうに。 

 

今日の讀書・・小松英雄著『古典和歌解読』(笠間書院)を讀みつづけました。 

 

今日の寫眞・・我が愛用の『古今和歌集』と、その〈春歌上・9〉の歌あたり。この上下本は、明治廿三年發行の和本ですが、くづし字はまだ生きてゐましたからね。本格的です。それと、本日の「本音のコラム」です。

 


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