正月七日(木)戊子(舊十一月廿八日 晴のち曇り

 

今日は書道教室。いはば〈書き初め〉を行つたわけですけれど、散々でした。

 いつもなら、調子が良くないときでも、短時間のうちに次第に氣持ちも腕も整つてくるんですけれど、今日はどういふわけか、最後まで調子がもどらず、先生にも、今日はじゅんさんどうしちやつたんでせうね、と首をかしげられてしまひました。 

いやあ、こんなはづではないんですがね。今朝の讀書では、いかに筆文字を直に讀むことが文章を理解するのに大切なことか、またまた興奮氣味に納得したばかりだつたんです。だから、理解するばかりではなく上達したいと願つて臨んだのに、空振りでした。當然、ハナマルはいただけませんでした。 

ところが、歸宅して、妻に見せたところ、これがまたどういふわけか、先生の手本より、ぼくの字のはうがいい、といふか上手いと言つてくれるんです。ぼくの心を察してくれたのか、それとも本心なのか、まあ、捨てる神あれば拾ふ神ありでありませうから、それでもやつと氣持ちが落ち着きました。さう、忘れるところでしたが、手本は「迎春」でした。 

 

その讀書ですが、小松英雄先生の 『古典再入門 「土左日記」を入口にして』 ですよ。大晦日の日記に、「をとこる日記といふもをゝむなもんとてするな」、について、紀貫之が女性のふりをして書いたものだと説明されてきたことは間違ひで、男文字(漢字)で書かれてゐる日記を、女文字(仮名)で書いてみようと讀むべき文章なのであるといふことを書きました。 

今朝讀んだところは、そのつづきです。從來、漢字文といへば男が、仮名文といへば女が使用するものだといふ、いはば使用者の性別と結びつけて議論されてきたけれど、それが『土左日記』の理解を根本的に歪めてきたと言はれるのであります。 

つまり、冒頭のこの味氣ない文章は、公的な或いは「事実を簡潔に記録する」ためにはふさはしい漢字文ではなく、「心の動きに関わる、繊細な感覚を生かした雅の文体で叙述しようといふ、(紀貫之さんの)意思表示」であつたのであります。 

漢字で書いた場合、「和語の語句や表現のもつ微妙な含みは消えてしまふので、日本語の繊細な含みを生かして記録しようとすれば」、インフォーマルな「書式樣式」である仮名で書くしかなく、それを實行しようとして筆を取つたのがこの『土左日記』だつたのであります。 

そこで、小松先生、意表を突くやうに、『源氏物語』を出してこられました。 

「梅枝」の卷ださうです。光源氏が、晩春の穏やかな日に、「古き言どもなど、思ひすまし給ひて、御心のゆくかぎり、(さう)のも、ただのも、女手も、いみじう書き尽くし給ふ」といふ文です。 

さて、問題は、「草の」假名、「ただ」の假名、「女手の」假名の違ひです。「」とは、「仮名の書体のひとつ、草仮名で書かれたテクストのことで、伝貫之筆『自家集切』・・などが有名」。 

女手」については、ほとんどの注釋書では、「女の書く文字、すなわち平仮名のこと」などと書かれてゐて、これでは注釋になつてゐないと、小松先生たいへんなご立腹であります。 

なぜなら、「」だつて「ただの」だつて平假名には違ひないわけです。ただ、「ただの」は、「ごく親しい人物に単純な用件を伝達するために、他人行儀のことばづかいなどせずに、走り書きしたもの」であるに對して、「女手」は? 

「女手」の「手」とは、「読めさえすればよいという実用的テクストではなく、上手か下手かが問われる書記テクストのことです。『女手』とは『平仮名』であるという注釈書や辞書の解説は書き改めなければなりません」。かうですよ。ご立腹のほど、お察しします。 

そんな間違ひをして平然としてゐられるのは、「毛筆で書いた仮名と印刷体の平仮名との本質的な違いを認識していないからです。連綿や墨継ぎを生命とする連接構文の仮名文テクストを印刷体の漢字平仮名交じり文に置き換え、句読点、濁点、引用符を加え、パラグラフに分割して校訂テクストを作製し、それを、もとのテクストと等価だと思い込んでいることが、すべての誤りのもとになっています」。 

どうです。ここで、冒頭に書いた、「筆文字を直に讀むことが文章を理解するのに大切」であるといふことと結びつきましたね。 

しかし、この傳で言へば、ぼくが手にしてゐる影印本でも十分ではないことも判明しました。なぜなら、影印とは、「毛筆で書いた仮名」とはいへ、印刷されたものですから、書かれてゐる仮名文の、「料紙の質や感触、色合いなどにふさわしい書体を選び、仮名の種類や筆づかいを見事に使い分けている・・・繊細なセンスと技巧」はどうしても傳はつてはこないからであります。まあ、そこまで専門的にのめり込む必要はないと思ひますが、毛筆で書かれた影印本を可能な限り開いて直に見て讀んでいきたいと思つた次第であります。 

ちなみに、光源氏さん、意中の人からお手紙(和歌)をいただいたのに、その書風の古めかしさや料紙を選ぶセンスを疑つて、たうとう、その和歌の内容やできばえについてのコメントはしなかつたといふことです。 

さう、あとひとつ分かつたことがあります。「情報伝達の手段として形成された仮名が、美的表出の素材として洗練されるようになってからは、ヴァラエティーを求めていわゆる変体仮名が大量に導入され、また、同じ字源の仮名も複数の書体に分化したために、仮名文の書記の様相が一変しました」。さういふことで、ぼくが惱みに惱んできた變體假名の正體が分かりました。さういへば、『歴史紀行(十八) 我が家の古文書発見!』の、「くづし字・古文書解読強化月間」の項のなかで、國立東京博物館で開催した「和様の書」展に行つた感想として、そんなことについて觸れた記憶がありますね。いや、とにかく、小松先生ありがたうございました。 

 

今日の寫眞・・書道教室にて、その先月の作品の掲示。さすが本日の作品は載せられませんです。はい。それと、おみやげにいただいた大學芋に今日の切り抜き。

 


コメント: 0