正月廿四日(日)乙巳(舊十二月十五日・望 晴

 

さあ、いよいよ、『〈中仙道を歩く〉感想文集』をプリントしなければなりません。それで、訂正個所がないか、最後の熟讀をいたしました。すると、出るは出てくるは、まるきり數行がダブつてゐたのを最高に、いや最惡として、寫眞を動かしたり、説明を加へたりで、午前中いつぱいかかつてしまひました。 

それと、妻が買ひ物に出るついでに、プリンターのインクとB5用紙を賴んだら、そんなに買つてどうするのと、ちよいと嫌味を言はれました。 

そんなこんなで、プリント開始は夕方になつてしまひましたけれど、今日一日で十部できてしまひました。それも、次のプリントの間に、トランプを配るやうに、頁を逆にしていき、さらにホッチキスで三個所綴じて一應の完成です。あとはまとめて背中に製本テープを貼るだけです。 

三十四ページの册子が九十部ですから、ちよいとやつかいだと思つてゐたんですが、思つたより短時間でできさうです。助つ人を賴んで仕上げやうかと思ひましたが、この分だと十日餘りで完成しさうです。そして、これで、辛くも樂しかつたツアー旅が名實ともに完成といふか、終りとなるのですから、さう急ぐ必要もないかなとも思ふのであります。 

 

また、ちよいと依賴されて、預言者エリヤとエリシャの關係について調べるために、舊譯聖書を出してきて讀みだしたんですが、讀みはじめたら面白くなつてしまひました。ついでなので、記憶をよみがへらせるために、「列王紀略上」の最初から讀み出しました。ダビデ王が死に、ソロモンが次の王となるあたりの話です。もちろん、文語譯で、そばには一應、『新共同訳聖書』もおいて、意味がとりにくいところだけ參照するやうにして讀み進みました。 

すると、ぜんぜん氣がつかないでゐたんですけれど、なんと、文章に、句點も讀點も引用符もないではありませんか! まるで、『土左日記』や『源氏物語』と同じ世界なんです。何章何節かの番號が振つてはありますが、それはただ、引用するときの便利を考へて付けられたもので、文章を理解するのには役に立ちません。漢字で書かれてあるから分かるものの、わが古典のやうに平假名だけだつたら讀みにくいでせうね。 

さう言へば、塚本邦雄さんが、『國語精粹記』(講談社)の中で、「私達が今日享受する邦譯韻文聖書のあの翻譯技術を神技以上の奇跡と思ふのだ。・・當時の「聖書協會」の譯者群(?)が、映像喚起力に富んだ漢語と、魂を慰撫するに効ある大和言葉を、至妙に按排して、一行を一章を、練り上げて行つたからだらう。」と言つてゐたのを思ひ出しました。和歌や和文にも造詣が深かつたことが、讀んでゐてよく分かりました。 

 

今日の寫眞・・今日の切り抜き。

 

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