正月廿六日(火)丁未(舊十二月十七日 晴

 

『〈中仙道を歩く〉感想文集』を作成中ですが、昨晩、文章の一部が重複してゐることを發見し、すぐ手直ししました。空いたぶんだけ、何枚か寫眞を挿入することができたので、それはそれでよかつたのですが、問題は、既に製本してしまつた三十冊です。訂正した二頁を急遽冊數分をコピーし、それから、製本した册子のその頁を切り取り、差し替へたんですが、これには手間と技術が必要でした。が、それは企業秘密といふことで記しませんけれど、今日の午前中いつぱいその作業に費やさざるを得ませんでした。 

ちやうど黑インクがなくなつてプリントが出來ず、買ひものに行く妻に賴んでゐた間でしたので、ちよつと根氣のゐる作業も集中して行ふことができました。ペラペラつと見ただけでは、きつと氣づかないかも知れません。 

今日は、十五册製本できましたから、合はせて四十五冊。ちやうど半分です。それにしても、プリンターがよくありませんね。以前使用しゐて突然に壊れてしまつた大きなプリンターは、もつと色が鮮明で、必要ない縦線など寫り込むことなくてよかつたのにと思はざるを得ません。まあ、どうにか動いて仕事をしてくれてゐるだけでも幸ひかも知れませんが。 

 

今日の讀書・・小松英雄著『仮名文の構文原理[増補版]』(笠間書院)が讀み終りました。とても面白かつたです。内容は難しいことを言つてゐるんですが、よく分かるし、最後までついて行くことが出來ました。 

小松先生が言ひたいことはただ一つ。「〈文法〉を頭に置かずに読みさえすれば、文章の内容が、あるいは、作者の表現意図が、すなおに理解できる」、と言ふことです。それを〈文法〉に從つて、といふか、〈文法〉的正しさに整合性を合はせやうとして理解しやうとするから、すなほに作者の心が傳はつてこないし、それを學生・生徒に無理やり敎へるから、面白いものも嫌になつてしまふのだ、と先生はおつしやるのであります。しかも、その弊害はすべての古典文學を覆つてゐるようなんです。 

その中でぼくが特に興味を惹かれたのは、淸少納言の『枕草子』の、いくつもある寫本の相違です。その冒頭の、有名な、 

「春はあけぼのやうやうしろくなりゆく山きはすこしあかりてむらさきたちたる雲のほそくたなひきたる」(能因本) 

について、まあ、あれこれの教科書の記述やそれを書いた先生方の見解をことごとく論破しながら、最後に、「原形を保存するに近いと考えられている」能因本や三卷本の寫本に對して、より後に寫された堺本と比較した、その結果が面白いんです。

 「春ハあけぼのゝ空いたくかすみたるやうやうしろくなりゆく山のはのすこしづゝあかみてむらさきだちたるくものほそくたなびきたるもいとをかし」(堺本) 

よく見くらべると分かりますが、百年か二百年のうちに、原本が變へられてしまつてゐます。よく言へば、寫した者の理解が反映されて、分かりやすくなつてゐるのです。しかし、言ひかへれば、作者が意圖した、より自由な想像力をもつて樂しんでもらはうとしたのとは逆に、解釋を押しつけることによつて理解の廣がりをより狭めてしまつてゐるんですね。 

同じ事が、現在の研究者にも、學校の教科書にも言へると、小松先生、とても嚴しい口調で繰り返してをられるのであります。いやあ、勉強になりますです。はい。

 引き續いて、『みそひと文字の抒情詩~古今和歌集の和歌表現を解きほぐす』(笠間書院)を讀みはじめましたが、他に讀むものやることがつまつてゐるので、ちよいとあひだを置きたいと思ひます。 

 

今日の寫眞・・今日讀み終へた、小松英雄著『仮名文の構文原理[増補版]』(笠間書院)とこれから讀む 『みそひと文字の抒情詩~古今和歌集の和歌表現を解きほぐす』(笠間書院)。まあまあ、その《帶》を讀んでくださいな。すごいでせう!

 妻がことさら心配しいしい見守つてゐる傷だらけのローラ。食事にきても、いつもおどおどしてゐます。我が家に落ち着いた三兄妹が大きな顔をして、ときどき意地悪してるやうなので、食べてゐるあひだは見張つてあげなければなりません。妻には、躾けるやう嚴しく言つてゐるんですけれどね!

 


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