正月卅日(土)辛亥(舊十二月廿一日 小雨のちやむ

 

『〈中仙道を歩く〉感想文集』を、住所を知らせてくださつた方々にお送りしながら、終日横になつて讀書をしてゐました。氣が抜けてしまひ、何かをやろうといふ氣がおきないこともありましたが、志水辰夫著『みのたけの春』(集英社文庫)に引き込まれてついつい讀み切つたのでした。 

幕末の但馬の小さな村合を舞臺に、尊皇攘夷の嵐に翻弄される靑年たちの物語でした。ぼくなんか、幕末といふと、幕府だ朝廷だ、新撰組や薩長の爭ひだのに目を向けがちですが、但馬國村岡藩の山村の鄕士、農民たちの地平から見た幕末なんてはじめてでした。 

政治經濟に疎ひぼくはにはたうてい氣づきもしなかつた幕末の農民靑年たちの惱みや苦勞、何に目を向けて、或いは何を気遣つて過ごしたのかが少し分かつたやうな氣がします。 

讀書といふのは、そもそも、まあ、氣晴らしに樂しむことが第一なんでせうが、ぼくは、「歴史紀行」を書きはじめたころから、讀書とは、讀みながら自分の中に疑問や樣々な問ひを呼び起こし、それに答へていく作業ではないかと思ふやうになりました。だから、的を射た疑問や問ひを抱かせてくれる本ほどいい本だと言へるわけです。

 

話は飛ぶやうですが、現在繼讀中の、小松英雄先生のご本は、さういふ意味では、さうかさうかとうなづくばかりの内容です。それは、そもそもぼくのはうに、和歌に關する素養がないからであります。だから、どんな和歌の本を讀んでもうなづくしかない状態で、これはけつこう危險なことだと思ひます。極端な話、洗腦されかねないからであります。 

その危險を逃れるためには、先生が批判してゐる文獻を直に見ることでせう。そして、一緒に考へることです。たしかに、素人の目からしても疑問に思ふといふか、何を書いてゐるのか分からない註解書が多いやうに思ひます。その一つ、今、久曾神昇著『古今和歌集(一)全訳注』(講談社学術文庫)を參考にしつつ、くづし字の『古今和歌集』三種を行して讀んでゐるんですが、知りたく思ふことは書いてなくて、作品の理解の助けにならないやうなことが多く書かれてゐて、何なんだと思ふことしばしばです。 

それは、現在の研究者や學者、さらに學會が、舊態依然のまま、「本居宣長の遠鏡を一歩もいまだにでていない」からであると、小松先生は嚴しくおつしやるのであります。それだけ、宣長の『古今集遠鏡』は金科玉条とされ、その信奉者ばかりを育ててきたやうなんですね。 

で、その本居宣長の『古今集遠鏡』ですが、寛政五年(一七九三年)に書かれ、ぼくが昨日掘り出したのは、その明治八年十二月に印刷された和本です。端書にはかうあります。 

「此書ハ古今集の歌ともをことことくいまの世の俗語(サトビゴト)に譯(ウツ)せる也」 

そして、有名な序文については、

 

「やまとうたハ人の心をたねとしてよろづのことのはとぞなれりける 

○哥ト云物ハ人ノ心ガタ子ニナツテイロイロノ詞ニサナツタモノヂヤワイ」

 

まあ、この「ヂヤワイ」にだまされたといふか、親近感を持つたからでせうか、だいぶ引きずられて、二百年以上たつても、この書の解釋の域を脱してゐないやうなんです。 

 

今日の讀書・・志水辰夫著『みのたけの春』(集英社文庫)讀了。 

 

今日の寫眞・・本居宣長の『古今集遠鏡』と、今日の切り抜き。